下阿波村
しもあわむら
[現在地名]大山田村下阿波
猿野村の西に位置する。東南に布引山地の高峰笠取山(八二八メートル)に続く山々を控え、北西部を流れる阿波川に沿って耕地が開け、条里制に関連する八ヶ坪の地名と、斜交条里の地割の遺構が残っている。古道は西の広瀬村の三谷河内より奥馬野村を経て、八ヶ坪に出て阿波神社の下辺りを通ったと考えられる。伊賀街道は広瀬村の三谷より阿波川の北岸の峡谷道を通り、当村の西北部下山に出て、川を渡り猿野村に入った。この通称岩伝の道は正保国絵図にもみえるからかなり早く開削されていたと考えられる。俊乗房重源の「伊賀国所々山々切掃往反人令平安(中略)嶮悪所々悉作直止人畜歎」(南無阿弥陀仏作善集)という事実に相当する道と考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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