下高瀬村
しもたかせむら
[現在地名]三野町下高瀬
高瀬川流域にあり、北東は大見村。古代三野郡高瀬郷(和名抄)の遺称地。天正一〇年(一五八二)に成立した国祐寺(現豊浜町)の縁起に「下高瀬法華堂」とみえる。法華堂は当地内本門寺にあたる。元徳三年(一三三一)高瀬郷が伊予大道を境として上下に分けられた(同年一二月五日「源誓置文」秋山家文書)。下半分が下高瀬の呼称の由来と推定される(高瀬町の→高瀬郷)。
寛永国絵図では上高瀬村(現高瀬町)とともに高瀬郷を形成。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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