日本歴史地名大系 「大見村」の解説
大見村
おおみむら
東から南にかけて
寛永国絵図では大見郷とみえ、竹田、
大見村
おおみむら
- 京都市:左京区
- 大見村
北は
大見の名は平治元年(一一五九)の前太政大臣
中世を通じ、久多と一体として知行されたらしく、鎌倉時代末期には足利家領、室町期には
大見村
おおみむら
大見村
おおみむら
大見村
おおみむら
大見村
おおみむら
大見村
おおみむら
現大三島町の北部に位置する。東は山を負い、西は海に臨み、南は
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の越智郡の項に「太見村 日損所、芝山有」とみえ、村高は四一石六斗八升の小村である。享保末年の「越智島旧記」によると、田畑面積は、田三町三反八畝一七歩、畑三六町一反八畝、ほかに新田畑として、田八畝一三歩、畑一町一反二七歩がある。家数は七四軒、うち御水主定家数九軒、御百姓家五九軒、無給家六軒、人数三七三人である。また越智島必用覚書(松浦八郎氏蔵)によると、享保六年(一七二一)当村には揚浜が四反三畝あり、その運上銀は一一六匁八分であった。
大見村
おおみむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報