下高輪町(読み)しもたかなわまち

日本歴史地名大系 「下高輪町」の解説

下高輪町
しもたかなわまち

[現在地名]港区高輪三丁目

明治五年(一八七二)町並地以外の下高輪村と東禅とうぜん寺などの寺社地、旧武家地が合併して成立した町。町域は海に近い高輪北町と高輪南町の裏(東)から西の芝二本榎しばにほんえのき町二丁目にかけての斜面で、南北を高輪南町と高輪北町に挟まれている。合併された旧武家地は伊勢神戸藩本多家(寛延元年拝領)と薩摩鹿児島藩士の抱屋敷(東京市史稿)寺地のうち浄土宗法蓮ほうれん寺は寛永元年(一六二四)起立、同宗浄業じようぎよう寺は相模国三ノ宮さんのみや(現神奈川県伊勢原市)で二位禅尼(北条政子)が嘉禄元年(一二二五)開基、寛永元年北品川台きたしながわだい(現品川区)に移り、寛文四年(一六六四)当地に移転。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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