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世界平和評議会(読み)セカイヘイワヒョウギカイ

百科事典マイペディアの解説

世界平和評議会【せかいへいわひょうぎかい】

国際平和の実現と擁護を目的とする国際組織。1950年ワルシャワで開かれた第2回世界平和擁護者大会で設立。戦争反対,原水爆禁止運動などで大きな業績をあげた。→ストックホルム・アピール
→関連項目ウィーン・アピールベルリン・アピール

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

世界平和評議会
せかいへいわひょうぎかい
World Peace Council

第二次世界大戦後、冷戦が激化し始めた1949年4月、パリとプラハで平和擁護世界大会(World Congress of Partisans of Peace)の第1回大会が開かれた(フランス政府が共産圏代表の入国を拒否したためプラハでも同時開催)が、翌50年11月ワルシャワで開かれた第2回大会で、常設機関として設立されていた平和擁護世界大会委員会が51年に改組されて世界平和評議会となった。事務局は当初プラハに置かれ、初代議長にはフランスの原子物理学者フレデリック・ジョリオ=キュリー博士が就任した。同評議会はベルリン、ブダペスト、ウィーン、ストックホルムといった都市で年1~2回総会を開き、50年代を通じて展開された核兵器反対、平和擁護の運動の中心となった。[藤村瞬一]

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世界大百科事典内の世界平和評議会の言及

【反戦・平和運動】より

…日本でも,朝鮮戦争反対の運動と結んで取り組まれ,645万の署名が集まった。平和擁護世界大会委員会の後身,世界平和評議会は51年2月,ベルリンで米英仏ソ中の五大国に平和協定締結を要求する署名運動(ベルリン・アピール)を呼びかけ,全世界で6億人以上,日本でも600万人の人々によって支持された。 1954年3月,日本のマグロ漁船第五福竜丸が太平洋のビキニ環礁付近でアメリカの水爆実験による〈死の灰〉を浴び,乗組員が放射能症にかかり,1人が死亡した(ビキニ水爆実験)。…

※「世界平和評議会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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