ストックホルム(読み)すとっくほるむ(英語表記)Stockholm

翻訳|Stockholm

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストックホルム」の意味・わかりやすい解説

ストックホルム
すとっくほるむ
Stockholm

スウェーデンの首都。スウェーデン南部、メーラレン湖とバルト海を結ぶ川の両岸と数個の島々を占め、一名「北欧のベニス」「メーラレン湖の女王」と称される。面積187.6平方キロメートル、人口75万4948(2001)。19の近隣コミューン(自治体)をあわせて大ストックホルムを形成し、面積3456平方キロメートル、人口182万2224(2000)に及ぶ。市の北部は花崗(かこう)岩の緩やかな丘陵で、氷河のモレーン氷堆石(ひょうたいせき))と粘土が谷間を埋める。南部は片麻(へんま)岩が亀裂(きれつ)谷によって刻まれており、メーラレン湖の南岸に際だった断層がみられる。中央部には南北にエスカー(堤防状の氷河地形)の高みがある。市は31の教会区と116の小地区に分割されている。東西南北の要所に配された旧税関より内側を市内とし、主としてオフィス街、商店街と住宅からなる。その外側は工業地帯、緑地帯で、また数多くの住宅団地が配され、バス、地下鉄、鉄道網によって連絡している。市の中心部より北北西約42キロメートルのアーランダ空港によって、諸外国および国内二十数か所の都市と通じている。フィンランドとは定期連絡船で結ばれる。夏季は市内の各所間にボート連絡がある。

 市はイョーテボリに次ぐスウェーデン第二の港湾施設をもつ輸出入港である。また工業都市でもあり、機械、電子、通信機、食品などの工業や出版が行われる。王宮と大伽藍(がらん)のあるガムラスタン(旧市街)はストックホルム発祥の地で、中世のおもかげを残している。これより北部のノールマルム地区は旧市街に続いて官公庁が建ち並び、中心街はシティとよばれ、ノーベル賞授賞式で知られる音楽堂を中心に繁華街が広がる。北東のイョステルマルム地区は高級住宅地で、東のジュールゴーデン地区は多くの博物館、美術館のある文化公園である。また、南のソーデルマルム地区は商店・住宅街で、西のクングスホルメン地区は住宅・官公庁街となっている。ストックホルムには90を超える各種の博物館があり、総合大学、工科、商業、医科などの大学もある。オペラ座、王立・市立劇場をはじめ多くの劇場をもち、文化センターはつねに斬新(ざんしん)な催しで話題を提供する。各種スポーツ場も完備し、メーラレン湖は、夏季には水浴、ボート遊び、魚釣りの場となり、冬季はスケート場となる。また冬季には緑地帯の各所がスキー場と化す。住宅団地は1950年代建設の西のベーリングビー、南のファーシタが、住宅と職場とサービスを1か所にしたモデル団地として国際的注目を浴びた。1970年代建設の団地シャールホルメン、テンシタは、人口増加の著しい移民と低所得者にあてられ、麻薬、アルコール、バンダリズム(破壊行為)など多くの問題を投げかけている。

[中島香子]

歴史

市の起源は、一般には1255年ごろビルイェル・ヤールが、現ガムラスタンにあたる島の上に、海上からの侵入を防ぐために築いた城塞(じょうさい)にあるとされている。その後、城塞の周囲に町が形成され、ハンザ同盟との結び付きにより、港町として急速に発達した。そのため中世を通じてドイツ人の居住者が多く、ドイツ文化の影響を強く受けた。1356年スウェーデンで最古のギルドが組織され、14世紀末には同国最大の都市となっていた。しかし、初めて「首都」という呼称が使われたのは1435年のことである。1634年、憲法により正式に王国政府の所在地とされた。17世紀と19世紀後半以後の2回、とくに著しい人口増加が生じている。ストックホルム市は従来は県と同格の特別市であったが、1971年以後ストックホルム県に属する自治体となった。

[本間晴樹]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストックホルム」の意味・わかりやすい解説

ストックホルム
Stockholm

スウェーデンの首都。ストックホルム県の県都。メーラレン湖とバルト海のサルトシェーン入江との接点に位置し,市街地は多くの小島や半島の上にできている。古来,メーラレン湖の女王,水に浮かぶ都,北方のベネチアと称賛された。気温は1月が-2.9℃,7月が 17.8℃。平均年降水量は 552mm。港湾,空港,鉄道,バス,地下鉄などが完備し,交通網の要衝。スウェーデンの政治,文化,経済,商業の中枢である。政府,市庁舎,ストックホルム大学,各種専門学校が置かれ,民族,歴史,自然,美術の各博物館,二つの交響楽団がある。主要な産業は,卸売り,金融・保険,造船,織物,化学,自動車製造,電機製造,出版など。中世の年代記によれば,町の建設は 1250年頃活躍したビルイェル・ヤルルに負う。中世にはハンザ同盟の支配下でバルト海沿岸の交易の中心地として繁栄。 17世紀に入ってスウェーデンが北欧の主導権を握ると,ストックホルムも常設首都として急速に発展,確固とした地位を築いた。 1850年から第3の発展期を迎えたのち,1950年以降都市再開発が推進され,市の中心は高層のオフィスや遊歩街,セルイェル通りなどで知られるショッピング・ビジネスセンターとして大きく変貌。郊外の工業都市スンドビュベリ,ソールナや,近代的都市計画によって建設されたファルスタ,ベリングビーなどの住宅都市と連接して大都市圏を形成している。中世の名残りをとどめるガムラスターデン (旧市街) ,ノーベル賞授与式が行なわれる市のコンサートホール,市庁舎,クララ聖堂,リッダルホルム聖堂など旧跡も多く残っている。人口 81万120(2009)。

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