日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブダペスト」の意味・わかりやすい解説
ブダペスト
ぶだぺすと
Budapest
ハンガリーの首都。同国の中北部、ハンガリー盆地に位置し、ドナウ川が市内を貫流している。面積525平方キロメートル、人口177万5203(2001)。中部ヨーロッパ最大の都市で、ハンガリーの政治、文化、産業、交通の中心地。同国全人口の約17%が集中し、1平方キロメートル当りの人口密度は3381人。
現在のブダペストは一つの行政単位として統合されているが、ドナウ川右岸側のブダ地区と左岸側のペスト地区は長い間互いに独立した双子都市として発展してきた。ブダは歴史が古く、古代ローマ帝国の領有時代に砦(とりで)が築かれた。これに対してペストはドナウ川の氾濫(はんらん)原となっていた低平地で、洪水などによる水害を受けやすく、その開発が遅れたが、ブダが山がちで土地利用に余裕がないことと、この地が東西南北の交通の要所であったため商業の町として急激に発展した。1873年、両市は合併に調印し、ブダペストと称するようになった。ブダは山が河岸近くまで迫り、起伏に富んだ町で、城山(バールヘジュVárhegy)とよばれる丘にはハンガリー王朝の王宮や戴冠(たいかん)式が行われたマーチャーシュ教会など歴史的建造物が多くみられる。この歴史的地域とドナウ川の河岸は1987年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。一方ペストは国会議事堂、科学アカデミー、国立博物館、国立オペラ劇場、ペスト・コンサート・ホールなど現代の政治、科学、文化、芸術の中枢機関が集中している。
ブダペストはまたハンガリー最大の工業都市で、全国の工業生産の約50%、工業従事者数の約26%を占め、工業の首都への集中度が非常に高い。この都市の重要な工業地域は南部のチェペルCspelと、市の北郊に新しく開発されたウーイペシュトÚjpestである。前者はドナウ川の川中島に建設された工業地域で、工業用水の取得に都合のよい立地条件を有している。もっとも重要な製品は、鉄道・船舶・バスなどの輸送機械と電気機械、工作機械などの機械工業製品で、なかでもガンツ・マーバグ社の電気機関車、イカルス社のバスは外国にも輸出され、よく知られている。
[古藤田一雄]
歴史
1873年にブダおよびオーブダ(古ブダ)とペスト地区とが合併して市制が発足した。初代市長はK・カムエルマイエルKamermayer Károly(1829―97)。ブダは、タタール(蒙古(もうこ))来襲後の13世紀中葉にベーラ4世がこの地に王宮を築いたことにその発展の基礎をもち、以後一貫して国の軍事的・政治的要地であった。オーブダはローマ帝国領パンノニア時代にはアクィンクムAquincumとよばれ、またハンガリー王家アールパード家ゆかりの地でもあったが、合併時には農業地区であった。他方、ペストの町の基礎は11世紀に東ブルガール人が築いている。
ペストはブダとともに王国特権都市として栄え、とくにヨーゼフ2世時代(1765~90)以降に経済的繁栄を強め、19世紀前半の改革期には自由主義派の政治的・文化的中心地ともなった。この改革期にブダとペストは橋で結ばれ、1849年には民族独立を目ざす革命のなかで一時、合併が実現したが、革命敗北後もとの状態に戻された。
ブダペストは中欧の要地でもあるため、古来、他民族の占領の対象となり、亡命先ともなった。このためとくにブダ地区の民族構成は多様で、今日でもトルコ系住民地域などにその痕跡(こんせき)がみいだせる。また、市制発足時の人口は約30万、面積は現在の半分以下であったが、当時しだいに急速化しつつあった国の経済発展を一身に担う形で市は発展し、人口も1910年に88万、44年に138万へと急増した。1950年には、すでに市の一部となりつつあった周辺の7市16町を編入して現在の姿ができあがった。市制発足以来ハンガリーの首都である。
[家田 修]