朝日日本歴史人物事典 「並河誠所」の解説
並河誠所
生年:寛文8(1668)
江戸中期の儒学者。名は永,字ははじめ宗永のち尚永,通称五一郎。誠所は号,別号五一居士。山城国紀伊郡横大路村(京都市)の豪農の家に出生。父宗弥,母は永田氏,天民は弟。幼時より京都市中に移住。元禄4(1691)年天民と共に伊藤仁斎に入門,古義学を学ぶ。11年遠江国掛川藩(静岡県)藩儒となり,宝永1(1704)年武蔵国川越藩(埼玉県)藩儒に転ずる。致仕してのちは江戸に,晩年は伊豆国三島(静岡県三島市)に住む。天民の遺文集『天民遺言』を編集したが,その下巻に当たる『疑語孟字義』は,天民の弟子平巌春貞の遺志を継いで,誠所が仁斎著作の批判を完成した書。また友人関祖衡の遺志を継いで『日本輿地通志』を編集し,そのうちの『五畿内志』をまとめた。金石学の先駆的存在である。
(三宅正彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報