日本歴史地名大系 「中一色村」の解説 中一色村なかいつしきむら 滋賀県:愛知郡湖東町中一色村[現在地名]湖東町中一色下一色村の南に位置する。中世には押立(おしたて)保の一部と推定される。天正一九年(一五九一)二月二八日に検地が行われ、愛知郡押立郷内中一色村検地帳(平居文書)によれば、田三六町余のうち荒五町一反余、高四〇九石余のうち荒五九石余、畑屋敷六反余で高八石余、名請人六三名。天正末から慶長五年(一六〇〇)にかけては豊臣氏の支配下で、文禄三年(一五九四)一〇月一〇日の豊臣秀次朱印知行方目録(寺西文書)に村名がみえ、村高のうち三〇四石余が寺西新五郎に宛行われている。慶長五年彦根藩領となり、慶長高辻帳では高四二四石余。 中一色村なかいしきむら 愛知県:津島市中一色村[現在地名]津島市中一色町細長い柄を北にした斧状の村域で、柄と斧の棟の部分が日光(につこう)川の西岸に面しており、柄の北端は佐屋路に面し南は頭長(かしらなが)村に接している。弘化四年(一八四七)の村絵図(徳川林政史蔵)によれば、集落は三部分にあって本郷は刃部の中央に、枝郷の市場(いちば)は柄と刃の接合部に、さらに枝郷の日光出町(につこうでまち)は日光橋に接し佐屋路に面している。佐屋代官所支配下で、高一千五一五石余のうち六一九石余が藩士一一人の給知である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by