中丸子村
なかまりこむら
[現在地名]中原区中丸子
東を多摩川が流れ、西は市坪村、北は荏原郡下沼部村(現東京都大田区)の飛地、南は上平間村に接する。塚田・長島耕地などの小字があり、南通・中通・西村の三集落からなる。二ヶ領用水が用いられ、字新宿耕地に用水堰があった。
「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一一月一〇日条に源頼朝が葛西清重に与えたと記される丸子庄の一部。
中丸子村
なかまるこむら
[現在地名]丸子町大字中丸子
依田川と内村川の合流点よりやや下流東岸の村、東の段丘上には条里的遺構の残る水田地帯が広がる。北国脇往還沿いの大屋村(現上田市)から、中山道長久保宿へ向かう諏訪道(現主要地方道上田―茅野線)が村内を南北に通っている。道沿いの中丸子本郷のほか、東部の山麓に枝郷山岸がある。東は佐久郡牛鹿村(現北佐久郡立科町)・藤原田村、西は依田川を隔てて御嶽堂村、南は上丸子村、北は下丸子村と境をなす。
永正三年(一五〇六)下諏訪春秋両宮御造宮帳(諏訪大社上社文書)に「同庄(依田庄)丸子三ケ村 合籾卅九俵此代七貫文」と、上、中、下の丸子村が知られる。天文二二年(一五五三)二月、武田晴信が依田春賢に発給した安堵状(高白斎記)に「二月十三日、依田大和守方中丸子・下丸子如先々不可在相違候」のごとく、中丸子は以前から依田氏の領地だった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 