依田庄(読み)よだのしよう

日本歴史地名大系 「依田庄」の解説

依田庄
よだのしよう

[現在地名]丸子町を中心とする依田窪地方一帯

文治二年(一一八六)吾妻鏡」に「前斎院御領依田庄」としてみえ、小県郡下の荘園、前斎院(後白河天皇の第三皇女式子内親王)領であった。荘の範囲は、承久四年(一二二二)茂木文書によると「壱所 在信濃国依田庄内五箇村飯沼内村・中山・真□(山カ)・腰越」と記され、いずれも現丸子町で、飯沼いいぬま中山なかやま(現御岳堂みたけどう南原みなみはら三角みすみ地籍)は旧依田村地区、真山(現丸子町腰越区依田川南岸の向井地籍)と腰越は旧腰越村地区、内村は旧東・西両内村地区にあたり、これらが依田庄成立当初の地域であったと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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