中京田村(読み)なかきようでんむら

日本歴史地名大系 「中京田村」の解説

中京田村
なかきようでんむら

[現在地名]鶴岡市中京田

播磨京田はりまきようでん村の北にあり、苗代を挟みひがし村と西村に分れる。地形は平坦。備中街道東西に通る。中経田とも記され、かつて羽黒山領であったとする説もある(三山雅集)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高八六二石余、ほかに新田一二石余がある。寛永元年庄内高辻帳では高九〇四石余。正保郷帳では高九四二石余、田八六七石余・畑七二石、新田があり合計高は合わない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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