イネの苗を育てる苗床。イネの栽培は直まき法と移植法に大別されるが,現在の日本では直まき法による栽培は作付面積の1%未満で,ほとんどが移植法によっている。移植栽培においては,苗代で育てる苗の良否が本田での生育や最終的な収量を左右し,〈苗半作〉(良い苗を育てることは,収量の半分が保障されたようなものである)とまでいわれる。このため本田に移植した際の根づき(活着)がよく,以後の生育の速いがっちりした姿の苗,いわゆる“健苗”を育成するために,苗代の作りと苗の管理に各種のくふうが加えられてきた。例えば種を薄まきにすること,水のかけひき(灌漑・排水の調節)によって保温と酸素の供給を図ること,施肥および病害虫の防除などである。
日本における稲作は,縄文時代の末期から弥生時代にかけて始まったといわれるが,その当時の稲作は直まき法によっていたと推測されている。その後,水田の排水,区画整備が進み,鉄製の農機具が普及するのと並行して,直まきから移植に移行し,これにともなって苗代が作られるようになったと考えられるが,田植がいつ始まったかについては明確な史料がない。《万葉集》には直まきと移植の双方の記載がみられる。移植は奈良時代に普及し,平安時代にいっそう進んだと考えられる。《清良記》では苗代の作り方として,苗代の土を肥沃にし,速効性の肥料を施し,苗地を広くとって薄まきすることを奨励している。江戸時代後期になると,まき床の表面を平らにするために板を用いるようになり,苗地に溝(踏切溝)を設けて苗代の除草をしやすいようにしている。明治時代に入ると苗地を踏切溝で短冊形にくぎった〈短冊苗代〉が作られた。苗代は水苗代の様式が一般的であったが,技術の進展に伴い,各地の自然条件に適合するように,いろいろな様式の苗代が考案された。しかし1970年から79年にかけての10年間に,機械移植栽培法が急速に普及し,育苗はプラスチック製の箱や枠を用いた共同育苗の施設などで行われることが多くなったので,苗代の役割は低下してきている。
苗代の様式は,水田苗代と畑苗代に大別される。水田苗代には普通水苗代,通し苗代,折衷苗代,簡易折衷苗代,保温折衷苗代などがあり,畑苗代には,普通畑苗代,温床苗代,冷床苗代,ビニル保温苗代などがある。このほか,各種資材による保護の有無によって,普通苗代,保護苗代といった分類がなされることもある。〈普通水苗代〉は古くから行われてきたもので,原則として常時湛水(たんすい)する苗代である。全国的に分布したが,とくに暖地の平たんなところに多かった。水のかけひきにより保温や苗への酸素の供給を図る。利点としては,立枯病の心配が少ないこと,ケイ酸の吸収量が多くいもち病に対する抵抗力が強いことが挙げられる。欠点としては,寒地で苗腐敗病やユリミミズによる害で苗立ちが不安定となること,水のかけひきに労力を要すること,苗が伸びすぎて軟弱になりやすいことなどがある。〈通し苗代〉は苗代用地を年間を通して苗代としてのみ使うもので,苗をとった後は何も作付けせず,積み肥や有機物を多く施して地力の培養に努める。東北地方の寒冷地に多い。〈折衷苗代〉は水苗代と畑苗代の利点を組み合わせた苗代である。畑状態で整地し,あるいはまき床を作り,播種(はしゆ)後に灌水して,発芽ぞろいまでは水苗代と同様に管理し,以後排水して乾田状態とする。暖地とくに東海地方の一部で採用された。湛水で発芽をそろえ,乾田状態にして暖地で起こりがちな苗の伸び過ぎを抑える。また折衷苗代には最初踏切溝だけに湛水し,その後徐々に浅く水を張る方式もある。〈簡易折衷苗代〉とは畑状態で簡易に苗床を作り,苗代初期を畑苗代に近い状態にし,以後,水苗代の状態に管理する方法である。北陸の平たん地で遅まきする場合に選択される。〈保温折衷苗代〉は折衷苗代の初期を保温する様式である。保温資材として当初油紙を用いたが,近年はポリエチレンに替わった。この苗代様式により寒地および暖地の早期栽培における育苗が安定化された。〈普通畑苗代〉は湛水しない方式の苗代である。畑苗代で育てた苗は,植えた後の活着がよく生育が速い。反面,育苗中に立枯病が出やすく,いもち病にもかかりやすい,また苗取りに労力がかかるなどの欠点がある。〈温床苗代〉とは枠で囲い,わらなどを踏みこんで発酵させその熱を利用するか,電熱を用いて床温の上昇を図り,ガラス障子,ビニルなどをかけて保温する苗代である。〈冷床苗代〉は温床苗代と同様に作るが,発熱材料を用いないものである。北海道で開発され普及した。〈ビニル保温苗代〉はビニルで被覆する方式で,トンネル式,ハウス式などがある。育苗の後期に被覆の一部をあけ,寒い外気にあてて苗を寒さにならす。北海道,東北で普及した。
執筆者:浜村 邦夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
水稲、イグサなど湛水灌漑(たんすいかんがい)して育苗する苗床をいう。水稲は現在は移植が機械化され、苗は育苗箱で育てられる。育苗箱はビニルハウスなど育苗施設に並べられるが、その床は畑状態であることが多く、また湛水の苗代も暖地などで用いられている。
苗代における管理は毎日の温度調節、灌水、追肥などであるが、この技術によって苗の素質が決まり、それは移植以降の本田での生育と収量に大きな影響を及ぼす。管理の主眼は、寒冷地では苗の生育を順調に進めるよう保温に注意すること、暖地や高温期には苗を徒長させないようにすることにあり、いずれも健全な苗、すなわち根張りがよく、茎葉の太いがっしりした苗をつくることにある。健苗は移植してただちに発根し、活着力が強く、以降の生育や分げつも優れる。
苗代は、水稲が直播(じかま)き栽培から移植栽培にかわった奈良・平安時代ごろから始まり、現在に至っているが、いろいろの形式が時代とともに変遷してきた。(1)水(みず)苗代 もっとも古くからの方式で、常時湛水する。このため雑草の発生や鳥害は軽減させることができる。資材や労力は少なくてすむが、保温は水に頼るだけなので、苗は根張りが弱く、活着も遅い。(2)畑(はた)苗代 畑状態で育苗するもの。とくに水田の一部を干してつくるものを陸(おか)苗代という。苗代用水の不足や暖地の二毛作地帯などで行われた。根張りが優れ、活着がよいじょうぶな苗ができるが、雑草や鳥害が多い。(3)折衷(せっちゅう)苗代 水苗代と畑苗代とを折衷したもので、前期は湛水状態にし、中期は床の踏切溝(ふみきりみぞ)にのみ湛水し、後期は畑苗代状態にする方式である。初期は水により保温され、後期は根の生育が強化されるので、苗ぞろいがよく、活着が優れる。暖地の多収穫栽培に用いられた。(4)保温折衷苗代 折衷苗代と基本的に同じであるが、播種(はしゅ)後、焼籾殻(もみがら)を覆土し、温床用油紙やビニルシートで被覆して保温する方式で、初期生育が促進され、健苗ができ、しかも従来より早く田植ができる。昭和30年(1955)ごろより寒冷地の稲作の安定と暖地の早期栽培に貢献した。(5)ビニル苗代 保温折衷苗代あるいは畑苗代の上にビニルをトンネル状に被覆して保温するもので、ともにより早期の育苗を可能にし、かつ健苗をつくることができ、昭和40年代には寒冷地ではほとんどこの形式にかわった。(6)温床苗代 ビニル畑苗代の床下に醸熱資材あるいは電熱線を埋設して加温するもの。北海道や東北などの寒冷地で、より早期により安全に育苗する方式として用いられた。
現在の育苗の方式は、保温折衷苗代、ビニル苗代および温床苗代などの利点をとり、箱育苗に応用したものである。
[星川清親]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし,日本でも古代の稲作は直播方式であったのではないかといわれている。苗代あるいは育苗箱内で苗を育て,これを1株ずつ植える田植方式は,直播に比べると多くの労働力を必要とするにもかかわらず,日本で一般的に行われている理由は,(1)本田での生育期間が短縮され,土地の利用度を高めるとともに春先の不安定な気象条件から幼苗を保護することができる,(2)発芽したばかりの幼植物に比べて大きな苗を植えることにより,雑草に対する競争力が大きい,(3)苗を狭い苗代,育苗箱で育てることにより,苗の保護管理(保温するなど)が行きとどき,良い苗を選びそろえて移植することができるなどによるものである。日本では,昭和30年代までは苗代で育苗し,約7枚の葉をつけた大きな苗(成苗)を手で植えていたが,40年代に入って田植機が開発され,約10年で全国の水田面積の90%以上が機械移植に変わった。…
※「苗代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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