中北下村
なかぎたしもむら
[現在地名]久米町中北下
宮部川下流と坪井川流域にあり、広い平地に田圃が続き、当田田圃または当田平野と通称される。西は宮部下村・中北上村、東は領家村、南は南方中村。丘陵地の三成には古墳が多い。もと大井北方村であったが、正保元年(一六四四)中北上村と中北下村に分村したという(作陽誌)。正保郷帳では田方五三五石余・畑方八八石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳の改出高二二〇石余・開高四五石余。「作陽誌」の戸口は六一軒・三八七人。
元禄一五年中北下村を本郷と分郷に分け、本郷を幕府領、分郷を坪井下村に陣屋を置いた上野安中藩(内藤氏)領とした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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