宮部上村(読み)みやべかみむら

日本歴史地名大系 「宮部上村」の解説

宮部上村
みやべかみむら

[現在地名]久米町宮部上

現久米町の最北西端にあり、田添たぞえ平草ひらくさの谷から流れ出る宮部川の上流に位置する。北・西・南の三方を四〇〇―六〇〇メートルの山に囲まれ、南東宮部下村へ向かって開ける。矢倉やぐら(六五九・五メートル)の北西大庭おおば余野下よのしも(現真庭郡久世町)へはほとけたわとよばれる急な峠を越える。永禄九年(一五六六)九月七日の斎藤親実感状(美作古簡集)によれば、「宮部高味籠屋」での合戦の功に対し「久保田之内宮茂分」が太田新九郎に与えられている。

作陽誌」によれば、慶安元年(一六四八)宮部村上下に分けたという。正保郷帳では宮部村とあり、田方八二六石余・畑方二三七石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳も宮部村で、改出高二九〇石余・開高七七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報