坪井下村(読み)つぼいしもむら

日本歴史地名大系 「坪井下村」の解説

坪井下村
つぼいしもむら

[現在地名]久米町坪井下

東流する坪井川の南にあり、西は坪井上村、北は中北上なかぎたかみ村、東は南方中みなみかたなか村に接し、南には幻住寺げんじゆうじ山から加治子かじこ山に続く標高五〇〇メートル前後の山々があり、その南は山手公文北やまてくもんきた(現旭町)。もと坪井村で、坪日村・坪湯村ともいったという(久米郡誌)。明暦元年(一六五五)坪井下村・坪井上村に分村した(作陽誌)。出雲往来の宿場町で、津山城下の坪井町はこの地の出身者の住んだ町といわれ、城下町形成期にはすでに坪井に在町があったことがわかる。「作陽誌」には伯耆・出雲・石見往還はみなこの道に出る。また真島ましま鹿田かつた(現真庭郡落合町)へは四里六町で、備中阿賀あが水田みずた(現上房郡北房町)へも出ると記される。参勤交代で出雲往来を利用する備中新見藩・美作勝山藩・出雲松江藩・出雲広瀬藩主たちはこの地で小憩をとった。元禄一一年(一六九八)津山藩森氏断絶により幕府領となり、幕府代官所が置かれ、同一五年久米北条くめほくじよう郡内一二ヵ村五千石が上野安中藩内藤氏の所管になると内藤氏の陣屋が置かれ、以後廃藩置県まで内藤氏領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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