中垪和畝村(読み)なかはがうねむら

日本歴史地名大系 「中垪和畝村」の解説

中垪和畝村
なかはがうねむら

[現在地名]旭町中垪和なかはが

通谷かいだに川の谷から南へ山を登る吉備高原上にあり、南は中垪和谷なかはがたに村、東の小山こやま村との境に間禰まねき山(六一八・六メートル)がある。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村帳では中垪和畝村として、高三五三石余。「作陽誌」に畝村とあり、戸口は五九軒・三二〇人。領主変遷は西垪和村と同じ。「作陽誌」によれば、安高山の山頂に龍王社があり、旱魃の年には雨乞をする。仏崖が岩井谷にあり、崖の高さ九〇尺、下に岩窟があり昔、如意輪観音が現れたことにより名付けられたとある。天台宗奈良坂山宝寿ほうじゆ寺は本尊阿弥陀如来。貞観二年(八六〇)慈覚大師が備前西大寺(現岡山市)と同時に創建したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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