古代の大宝衣服令で初めて制定された衣服の体系だが,冠位十二階以来の位冠や,衣服形態の系統を引く。衣服令の規定には,礼服,朝服,制服の,三つの体系がある。うち礼服は,大祀,大嘗(だいじよう),元日などの重要な国家的儀式行事の際に,五位以上の者が着用すべき衣服として規定された。養老衣服令では皇太子,親王,内親王,諸王,女王および文官,武官,内外命婦(みようぶ)について規定がある。令には天皇の衣服規定そのものは存しないが,臣下が礼服を着用する儀式の際には,天皇は冕服(べんぷく)と称する,上衣下裳形式の衣服を着用して儀式に臨んだらしい。《西宮記》によれば天皇冕服は,赤の上衣(女帝の場合は白)に日,月,星辰,山,竜,華虫(雉子(きじ)),宗彝(そうい)(酒器),の7章が,下衣の褶(ひらみ)には藻,火,粉米(ふんべい)(白米),黼(斧),黻(ふつ)(己形の相そむく形)の5章が五彩の糸で刺繡(ししゆう)されている。これを袞冕(こんべん)十二章と称し,頭には十二旒(りゆう)の白玉を垂下させた冕冠をかぶった。732年(天平4)正月,即位後の聖武天皇が初めて冕服を着用して受朝したとある。
皇太子以下,文官五位以上の礼服は,品・位階を可視的に表示する礼服冠と,位階に対応した色の上衣(養老令では皇太子は黄丹,親王および諸王・諸臣一位は深紫衣,五位以上諸王および三位以上諸臣は浅紫衣,以下四位深緋衣,五位浅緋衣)に牙笏(げしやく)を持ち,白袴の上に皇太子は深紫の紗の褶,親王,諸王は深緑,諸臣は深縹の紗の褶を着ける。他に三位以上は綬(じゆ)・玉佩(ぎよくはい)を,五位以上は綬のみをつけ,錦の襪(しとうず)烏皮舃(くりかわくつ)をはいた。内親王,女王,内外命婦五位以上の礼服は,品・位階によって異なる。金玉で飾った宝髻(ほうけい)をつけ,朝服と同色の衣に,内親王は蘇方と深紫,浅紫,深緑,浅緑の5色で絞染を施した裙(女王,内命婦二位以下は深紫を除いた4色)をまとい,裾から褶(内親王,女王は浅緑褶,内命婦は浅縹褶)をのぞかせた。また紕帯(内命婦三位以上は蘇方と深紫,四位は浅紫と深緑,五位は浅紫と浅緑)をつけ,錦の襪と,金銀で飾った緑舃(四位以下は銀飾の烏舃(くろくつ))をはいた。
武官の礼服は,五位以上相当官の衛府の督佐について規定された。皁(くり)の羅の冠に緌(おいかけ)(冠のひも)を施し,牙の笏を持して,位階に準じた色の襖(あお)を着,その上に裲襠(りようとう)を加えた。下半身には下袴を着,烏皮(くりかわ)(兵衛督は赤皮)の靴をはき,上に錦の行縢(むかばき)をつけた。また金銀で飾った腰帯と横刀を加える。
礼服は,唐制の中に比定しうるものを探すとすれば,上衣下裳形式で,陪祭,朝享,拝表などの大事に着用する〈朝服〉に擬しうる。しかし礼服は唐の服制をそのまま踏襲したものとみるよりは,礼服冠や褶の来歴を勘案すると,冠位十二階以来の,日本固有の衣服制の系統を引いたものと考えられる。なお,五位以上が礼服を着用すべき儀式の際に,五位以下の者は朝服を着用して臨んだが,大宝令段階では文官男子のそれは,〈脛裳(はぎも)〉と称する,おそらくは裳形式の下衣をまとうものであった。礼服の製作は当初製衣冠司で行われ,支給されたらしいが,741年には着用者が私的に備え作るべきものとされ,823年(弘仁14)には礼服を準備できずに,朝賀の礼そのものに出席できない人も多いとして,凶年の間は礼服の着用を停止する詔が出されている。
執筆者:武田 佐知子
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古代以来、朝廷で用いられた服装の一種。大宝(たいほう)の衣服令(りょう)で、朝服に加えて礼服を制定したと思われ、『続日本紀(しょくにほんぎ)』大宝2年(702)正月己巳朔(つちのとみついたち)条に親王、大納言(だいなごん)以上が初めて礼服を着たと記している。天皇の礼服についての規定はないが、天平(てんぴょう)4年(732)正月乙巳(きのとみ)朔条に、天皇が初めて冕服(べんぷく)(天皇の礼服)を着用したとある。養老(ようろう)の衣服令で、五位以上の者が大祀(だいし)、大嘗(だいじょう)、元日の儀式に際して着装するものとし、皇太子、親王、諸王、諸臣の文官および武官、内親王、女王、内命婦(ないみょうぶ)の礼服について規定している。皇太子以下諸臣文官の礼服の構成は、礼服冠(かん)、衣(きぬ)、牙笏(げのこつ)、白袴(しろはかま)、紗褶(しゃのひらみ)、絛帯(くみのおび)、錦襪(にしきしとうず)、烏皮舃(くりかわのせきのくつ)とし、位階によって衣の色を区別している。親王と諸王の五位以上は綬(じゅ)を帯び、三位(さんみ)以上は玉珮(ごくはい)という玉と銀の垂飾(すいしょく)を腰から下げる。
女帝や皇后の礼服についての規定もみられないが、内親王以下の者の構成は宝髻(ほうけい)(飾りをつけた髪形)、衣、紕帯(そえのおび)(縁のついた帯)、褶、纈裙(ゆはたのも)、錦襪、舃である。また、武官の礼服の構成は、皀羅(くろらの)冠、皀緌(くろのおいかけ)、牙笏、位襖(いおう)(両腋(わき)を縫わずにあけた上着)、裲襠(りょうとう)、腰帯(ようたい)、横刀(たち)、白袴、烏皮靴(くつ)、錦行縢(むかばき)(股(もも)と脛(すね)を覆うもの)である。平安時代以降、礼服は三位以上の者のみが即位式に着装するものとし、江戸時代末期まで続いた。
[高田倭男]
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…一般に冠婚葬祭の儀式典礼に際してのよそおいをいい,着用する衣服のことを礼服という。現今では洋装の場合フォーマル・ウェアformal wearともいう。…
…もちろん,それ以前に,草木染を中心に具体的で雑多な色が日本列島先住民たちによって作られ用いられてきたことも確かであるが,色をどう観念するか,なんの色を尊きもの好ましきものと感ずるか,という問題が最初に日本人の意識にのぼったのは,律令受容に伴う中国の制度文化の咀嚼(そしやく)=消化の段階においてである。律令の〈衣服令(えぶくりよう)〉をみると,〈礼服(らいぶく)〉(大祀・大嘗・元日に着る儀式用の服),〈朝服(じようぶく)〉(朝廷で着る公事(くじ)用の服),〈制服(せいぶく)〉(無位の官人・庶人の着る服)が厳格に規定され,位階や身分の上下に従って使用する色が異なっていたのを知る。表の〈古代服色表〉は《日本書紀》《続日本紀(しよくにほんぎ)》所載記事をも併せ参考にしながら,4回の服色規定が一目瞭然にわかるようにしたものだが,これによって,紫が最高の位階を示し,以下,赤,緑,藍(青)の順になっていたことを知る。…
…祭祀(さいし)に用いられる服装。式服,礼服ともいう。
[神道の祭服]
大きく皇室祭祀の服装と一般神社の神職用の服装とに分けられる。…
※「礼服」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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