デジタル大辞泉 「中尾碩志」の意味・読み・例文・類語 なかお‐ひろし〔なかを‐〕【中尾碩志】 [1919~1977]プロ野球選手・指導者。三重の生まれ。昭和14年(1939)巨人に入団、速球投手として高い勝率を残した。戦後は技巧派として活躍し、通算209勝を記録。引退後は同球団のコーチ、二軍監督を務めた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「中尾碩志」の解説 中尾 碩志ナカオ ヒロシ 昭和期のプロ野球選手 生年大正8(1919)年12月1日 没年昭和52(1977)年12月9日 出身地京都府 学歴〔年〕京都商(旧制)卒 経歴昭和14年巨人に入団。左腕から繰り出す速球と鋭いカーブで、新人ながらノーヒットノーランを記録するなど12勝をマーク、たちまちエースに。また、23年には27勝を挙げ最多勝、防御率1位のタイトルを獲得し、沢村賞に輝いた。現役通算209勝を記録。32年引退後はコーチとなり、40年からの巨人9連覇の一翼を担った。のち、巨人スカウト部長等を歴任。平成10年野球殿堂入り。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中尾碩志」の解説 中尾碩志 なかお-ひろし 1919-1977 昭和時代のプロ野球選手。大正8年12月1日生まれ。昭和14年巨人に入団。左腕からの速球とカーブで12勝,15,16年と2年連続26勝し,スタルヒンらと投手陣の柱となる。戦後は技巧派に転じ,23年27勝で最多勝と防御率1位。実働16年,通算209勝127敗,防御率2.48。昭和52年12月9日死去。58歳。平成10年野球殿堂入り。三重県出身。京都商業卒。旧名は輝三。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by