中山寺村
なかやまでらむら
[現在地名]宝塚市中山寺一―三丁目・中山寺・星の荘・売布東の町・今里町
勅使川を境に中筋村の西にあり、地内の中山寺が村名になった。寺への街道が巡礼道となっており、西は有馬街道小浜宿、東は加茂村(現川西市)につながる。仲山寺とも書き「ちゅうさんじ」とも読んだ(「一橋領村々様子大概書」一橋徳川家文書、「境界争論口上」和田家文書など)。
文禄三年(一五九四)浅野長吉の検地があり高一四〇石余・一二町七反余(同年一〇月五日「中山寺御検地帳写」中山寺文書)。
中山寺村
なかやまじむら
小和田村・高屋村の北、青葉山の東南斜面に立地。中山村ともいう。貞治四年(一三六五)一二月五日付の某寄進状(中山寺文書)に「中山寺」とみえ、村内に泰澄開創伝承をもつ中山寺がある。同寺隆盛時には正寿院・地蔵院など一五坊を数えたと伝え、現戸数一六戸はすべてもとの坊舎跡という。字名に奥の坊・桜本坊・東の坊などがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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