中島コンツェルン(読み)なかじまコンツェルン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中島コンツェルン」の意味・わかりやすい解説

中島コンツェルン
なかじまコンツェルン

飛行機製造会社中島飛行機中核としたコンツェルンで,第2次世界大戦終結頃まで存在した新興財閥のなかで最も軍需工業的性格が強かった。大戦中,軍用機増産政策により傘下に 67社の下請企業をもつ複合企業体に急成長。中島飛行機は,1945年4月には軍需省第一軍需工廠として民有国営企業になり,戦後返還されて富士産業と改称したが,占領軍によって解体され,富士重工業(→SUBARU),富士精密工業(プリンス自動車工業に改称,1966日産自動車合併)などに引き継がれた。

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世界大百科事典(旧版)内の中島コンツェルンの言及

【中島飛行機[株]】より

中島知久平が創立した航空機メーカー。第2次大戦終戦時には三菱重工業と並ぶ日本の代表的総合航空機メーカーに成長するとともに,いわゆる中島コンツェルンの中核会社であった。中島は,民営による航空機の国産化を目指して,郷里群馬県太田町に飛行機研究所(1919年中島飛行機製作所と改称)を設立した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」