中島飛行機(読み)なかじまひこうき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中島飛行機
なかじまひこうき

日本最初の民間の飛行機製造会社。1917年中島知久平が郷里の群馬県尾島町に飛行機研究所を創設し,同年太田町(→太田市)に移転。1918年中島飛行機製作所と改称,1931年株式会社に改組して設立。満州事変以後,戦争拡大の時流に乗って急成長し,傘下に多数の下請企業を擁して中島コンツェルンを形成,三菱重工業とともに日本の軍用機製造の中軸をなし,1941年以後 5年間で機体約 2万と発動機 3万以上を製作した。代表的な機種は一式戦闘機の『』,エンジンでは零式艦上戦闘機などにも搭載された「栄」。1945年軍需省第一軍需工廠として民有国営企業となったが,敗戦後返還され富士産業と改称した。1946年占領軍の財閥解体方針により解体,その資産は富士重工業(→SUBARU),富士精密工業(のちプリンス自動車工業に改称,1966日産自動車と合併)などに引き継がれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中島飛行機
なかじまひこうき

第二次世界大戦前の軍用機メーカー。海軍機関大尉中島知久平(ちくへい)が1917年(大正6)退役し、群馬県太田町(現太田市)に創設した飛行機研究所に始まる。1919年民間製作最初の軍用機「中島式四型」を納入し、中島飛行機製作所が発足。1931年(昭和6)株式会社に改組。第二次世界大戦に至る戦時体制下に国家資金のバックアップで三菱(みつびし)重工と並ぶ日本最大級の軍用機製造メーカーへと発展した。陸軍機「隼(はやぶさ)」、海軍機「月光」をはじめ100種以上、約2万4000機の機体と約4万4000台の発動機を生産したが、1945年4月第一軍需工廠(こうしょう)として国営に移管。敗戦後は12社に分割された。その後、主要部分は富士重工業に統合されている。[中村青志]

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