朝日日本歴史人物事典 「中島来章」の解説
中島来章
生年:寛政8(1796)
幕末・明治初期の画家。近江国(滋賀県)大津の人。字は子慶。号は鶴江堂,神通堂,春分斎など。初め渡辺南岳に画を学び,のちに円山応瑞の弟子となった。幕末期最大の円山派画家となり,門下より幸野楳嶺を生んだ。代表作に安政の御所造営の時御常御殿御小座敷上の間に描いた「蘆辺に鶴図」や「大原女・鶏図衝立」(大阪市立美術館蔵)がある。76歳で没し,京都の光縁寺に葬られた。<参考文献>土居次義『近世日本絵画の研究』,京都市美術館『京都画壇』
(河野元昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報