20世紀日本人名事典 「中島観琇」の解説 中島 観琇ナカジマ カンシュウ 明治・大正期の僧侶 知恩寺(浄土宗)住職。 生年嘉永1年9月22日(1848年) 没年大正12(1923)年2月2日 出身地下総国豊田郡(茨城県) 経歴茨城県の弘経寺で学び、明治26年浄土宗学本校校長、宗教大学(現・大正大学)教授。大正7年京都の知恩寺住職となる。著書に「浄土教と実生活」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中島観琇」の解説 中島観琇 なかじま-かんしゅう 1848-1923 明治-大正時代の僧。嘉永(かえい)元年9月22日生まれ。下総(しもうさ)飯沼弘経(ぐぎょう)寺(茨城県)でまなぶ。明治26年浄土宗学本校校長,のち宗教大(現大正大)教授。全国各地をめぐり教化(きょうけ)につとめた。大正7年京都知恩寺住職。大正12年2月2日死去。76歳。下総豊田郡(茨城県)出身。号は現蓮社紅誉西阿。著作に「浄土教と実生活」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by