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中川秀成 なかがわ ひでなり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中川秀成 なかがわ-ひでなり

1570-1612 織豊-江戸時代前期の大名。
元亀(げんき)元年生まれ。中川清秀(きよひで)の次男。文禄(ぶんろく)2年朝鮮出兵中の兄秀政が戦死,陣中で家督をつぎ播磨(はりま)(兵庫県)三木城主となる。翌年豊後(ぶんご)(大分県)竹田(岡)に移封。関ケ原の戦いの際,西軍の拠点豊後臼杵(うすき)の太田宗勝を討ち徳川方の信任をえた。豊後岡藩主中川家初代。6万6000石。慶長17年8月14日死去。43歳。幼名は小兵衛。

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世界大百科事典内の中川秀成の言及

【竹田[市]】より

…中世は大友氏の重臣志賀氏の代官支配地。大友氏の改易に伴い,志賀氏も岡城を去り,1593年(文禄2)中川秀成が,6万6000石を与えられ,翌年2月,岡城に入る。城の拡張,改造を行うとともに,丸山藤左衛門を奉行として大野川と稲葉川の合流する小盆地の竹田村を城下町とした。…

【中川氏】より

…近世大名。摂津国の出身。中川清秀は織田信長に仕え,4万0400石を知行。その子秀政は播磨三木を領有する。1594年(文禄3)秀成は豊臣秀吉の下で豊後岡7万0400石に移封。関ヶ原の戦のときより徳川家康に属し,領知を安堵される。以後幕末に至るまで中川氏の岡領有が続いた(岡藩)。当主は従五位下修理大夫または内膳正などに叙任された。維新後は伯爵。【大森 映子】…

※「中川秀成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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