中村史邦(読み)なかむらふみくに

精選版 日本国語大辞典 「中村史邦」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐ふみくに【中村史邦】

  1. 江戸中期の俳人別号、五雨亭。尾張国愛知県犬山の人。はじめ尾張藩寺尾直龍の侍医。致仕して京に上り、仙洞御所に仕えた。元祿三年(一六九〇)京にあった芭蕉入門。同六年江戸に下ったが、句作活動は衰えた。「猿蓑」に発句一四句がみられる。著「芭蕉庵小文庫」。生没年未詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村史邦」の解説

中村史邦 なかむら-ふみくに

?-? 江戸時代前期の俳人。
尾張(おわり)(愛知県)の医師で,のち京都で仙洞御所につかえた。松尾芭蕉(ばしょう)に俳諧(はいかい)をまなぶ。元禄(げんろく)6年(1693)江戸にでて根津宿之助と称し,芭蕉の没後,その作品をおさめた「芭蕉庵小文庫」を刊行。別号に五雨亭。医名は春庵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の中村史邦の言及

【史邦】より

…江戸前期の俳人。生没年不詳。姓は中村,通称は荒右衛門,のち根津宿之助と称した。中村春庵を名のり,尾張犬山の寺尾直竜に医師として仕えたが,去来の手引きで上京,所司代の与力となった。1690‐91年(元禄3‐4)ころ,芭蕉に教えを受け,丈草とも会した。蕉風の古今集として呼声の高い《猿蓑》には14句もの入集をみ,91年芭蕉の帰東に際しては,二見の文台,硯箱,自画像を与えられもした。浪人して93年江戸へ移住するが,原因は仕事の上の不祥事と伝える。…

※「中村史邦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む