20世紀日本人名事典 「中沖太七郎」の解説 中沖 太七郎ナカオキ タシチロウ 昭和期の薬学者 元・富山大学薬学部長。 生年明治29(1896)年 没年昭和41(1966)年 学歴〔年〕富山薬学専門学校(現・富山医科薬科大学薬学部)卒 主な受賞名〔年〕富山県文化賞〔昭和25年〕,勲三等瑞宝章〔昭和45年〕 経歴大学時代に生薬学の研究に取り組み、卒業後もたゆみなく研究を続け、新種の開発や改良、植物成分の解明などに務めた。「薬用植物学提要」「富山県に於ける薬草の話」などの著書のほか、多数の論文を発表している。研究に努めるかたわら、富山薬専、富大教授時代を通じて、数多くの学生を指導育成するとともに、富山県薬学界の近代化に尽力。昭和37年1月に薬学部長に就任したが定年のため3ケ月で退官した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中沖太七郎」の解説 中沖太七郎 なかおき-たしちろう 1896-1970 昭和時代の薬学者。明治29年12月13日生まれ。母校富山薬専(現富山医薬大)の教授,のち富山大教授として生薬の化学研究にとりくむ。配置家庭薬の普及・発展にもつくした。昭和37年富山大薬学部長。昭和45年9月25日死去。73歳。富山県出身。著作に「薬用植物学提要」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by