近世、語源を誤って「いく」を「幾」と解し、幾種類かの薬、いろいろの薬の意とした例として、「好色一代男‐七」の「田舎大じん印籠あけて、いく薬かあたえけるを」などがある。
植物,動物および鉱物の天産物をそのままか,またはその一部,あるいは動植物のエキス,分泌物,細胞内含有物を乾燥など簡単に加工を施し,薬用に供するものである。しかし,直接医薬品となるものばかりでなく,生薬製剤,成分製剤の原料となるもの,ならびに香辛料,香粧品,工業薬品などの原料をも含む。生薬は乾燥などによって腐敗やカビなどの繁殖を防ぎ,動植物自体の酵素反応を妨げ,化学的,生化学的に経時変化の少ないものが常時利用できるようになった。つまり,貯蔵や保存がきくようになったため,遠隔地のものも容易に入手でき,市場性が加わったのである。
生薬を英語でcrude drugという。drugは本来乾いた有機素材を意味するため,それらの原料という意味でcrude drugが使われる。アメリカおよびヨーロッパでは薬事法で禁じられているため,医薬品として売買される生薬は市場には存在しない。しかし日本では生薬として扱われているものが香辛料spiceや茶teaなどとして,種類も豊富に出回っており,食生活によく利用される。また医薬品として利用されるものは,成分製剤原料であるとの考え方からdrug materialという言葉もよく使われる。
生薬に関連する日本語の用語として薬用植物,薬草,漢方薬,民間薬,和漢薬などがある。薬用植物と薬草はほぼ同意義に使われるが,薬用植物中には薬木(やくぼく)も,またアメリカでは抗生物質を生産する放線菌なども含めている。漢方薬とは,中国で発達した中医学および日本に輸入されて日本流になった漢方で使う生薬をいう。民間薬はしろうと療法的あるいは利用システムが明らかでないような生薬を指す。和漢薬とは和薬と漢薬を含むが,和薬の中には日本古来のセンブリ,ゲンノショウコ,ドクダミ,ヒキオコシ,チクセツニンジンのようなものと,漢薬の国産代用品,例えば黄連(おうれん),当帰(とうき),蒼朮(そうじゆつ),山椒(さんしよう),蜂蜜(ほうみつ)などがある。漢薬は甘草(かんぞう),人参(にんじん),附子(ぶし),大黄(だいおう),桔梗(ききよう),茯苓(ぶくりよう),麻黄(まおう)など中国古来の生薬である。同じ生薬でも漢方処方によって使う場合は漢方薬,民間療法的に使う場合は民間薬,そして一般には和漢薬と称する。
医薬品としての生薬が市場でみられる地域と利用状況について,アジアを中心に述べる。中国,インドをはじめ東南アジア諸国,旧ソ連,東ヨーロッパ,北アフリカおよび中南米諸国には生薬市場が存在するが,利用状況はさまざまである。中国やインドでは数千年といわれる伝統に支えられた医療体系があり,生薬はおそらくおのおの1000品以上と思われる。日本にも漢方という独自の体系がある。このように整備された利用システムを基礎とするものから,やや呪術(じゆじゆつ)的な民間療法とも思われるレベルまでさまざまな使われ方がみられる。
日本では4~5世紀以来,漢方のたびたびの伝来により,和方ともいうべきものが明りょうでない。しかし古来から利用されていた純和薬は受け継がれ,現在でも民間薬として使われている。明治政府は文明開化を急ぐあまり,江戸時代に日本独特の実証主義から発達した漢方医学を非合法化した。そのため伝統のある漢方医の養成は困難となり,わずかに近代医学の医師のごく一部が漢方を使っているにすぎないが,市場の生薬は規制を受けなかったためそのまま残った。最近,合成医薬品による薬害が続出し,あらためて漢方が見直されるようになった。現在の〈日本薬局方〉には100余品目の生薬と200余の漢方処方が収載されており,生薬製剤もつくられ,市場に出回るようになった。
韓国および台湾では伝統的な独自の医学が発達し,医師の養成機関がある。中国では中医学と近代医学の合同医療が行われている。
インドには数千年の歴史のある伝統的医療体系アユルベーダが存在する。現在は近代医学による医療機関(大学,病院)と共存している。
東南アジア各国にはそれぞれ伝統的医療があって,利用される生薬の種類はさまざまである。シンガポールでは急速に近代化が進められているが,伝統的な中薬(中医方によって用いられる生薬)店とそこに雇われている中医はなお健在である。しかしこの10年間で,生薬よりも成薬すなわち生薬製剤を取り扱う薬店の方が増加したといわれる。シンガポールでは全人口の5%程度がインド系であり,約100品目のインド生薬が彼らの健康を支えている。
タイ国では近代的医療と並行して,タイの伝統的医療を行う療養所,伝統医および伝統薬剤師の養成機関ならびに両職種の国家試験制度がある。利用されるタイ生薬は約1000品目で,また生薬製剤もよく利用されている。市場にはタイ生薬のほかに中薬と中医が存在するが,こちらの方は養成機関などはない。中薬は少なくとも600品目以上ある。
ミャンマー(旧ビルマ)には伝統医の国家試験制度があり,養成機関ができた。ビルマ生薬は300品目以上あり,金や宝石を使った処方とか100種類も混合する処方(多味薬剤polypharmacy)があって,ローマ時代のガレノス製剤を連想させる。また,インド人あるいはインド系ビルマ人のためのインド生薬がみられる。
マレーシアおよびインドネシアではドクンdukunと呼ばれる民間医(伝統医あるいは村医)の存在が特徴である。インドネシアにはジャムーjamuと称される伝統生薬および生薬製剤がある。ジャムーはジャワの伝統的薬物といわれるが,現在はインドネシア各地でみられる。生薬製剤工場はジャワ島の中部から東部にかけて分布し,大小さまざまなメーカーによる種々な生薬製剤はジャワ島,マドゥラ島以外にも広く普及し,マレーシアへも輸出されている。ジャムー生薬は民族あるいは地域により種類が異なるが,1薬店で取り扱う品目数は50~60から80で,多いところでも約130品目しかない。インドネシア全地域ではおそらく200余品目程度と思われる。生薬としてはタイ生薬や中薬より少ないけれども,新鮮品で蔬菜(そさい)などと共用されるものがあること,およびドクンも生薬を購入する一方で,自家栽培や山野で入手しやすい薬用植物があることから,利用される薬草は少なくない。また,この地域は,かつて華僑(かきよう)といわれ,現在はそれぞれの国籍を有する中国人が経済的に活躍している場である。したがって,ここにも中薬がみられ,都会の中薬店で300~400品目,多いところでは700品目を取り扱っている。
東南アジアの伝統生薬の基盤はインド生薬である。インドと東南アジア各国の関係は中国と日本の関係に対比しうる。日本の和方は漢方に比べてきわめて不明りょうであり,和薬についてみても漢薬の国産代用品なのか,あるいは古来の和方によるものか不明なものが多い。しかしタイ国やインドネシアの伝統生薬は,かなり土着の要素が多いように見受けられる。その理由の一つとして生態的な相違,つまり植物相および風土に起因する疾病のちがいが考えられるだろう。また東南アジア各国では江南出身の中国人が持ちこんだと思われる中薬がジャムー生薬中に組みこまれ,生薬の原産地はヨーロッパからマレー諸島に至る広範な地域となり,その多様性をいっそう増幅させている。
生薬は天産物であるため,多種類の成分が共存混在している。植物性生薬中には特定の有効成分のほかに,タンパク質やデンプンなどの高分子,糖類,タンニン,樹脂,色素,ステロイドやテルペノイド,フラボノイドなどの比較的低分子有機化合物および各種無機成分が常成分として含まれていることが多い。
生薬の長所は,第1に薬効が確実である。例えばアヘンはその1成分であるモルヒネよりも鎮痛効果が大きい。またジギタリスは多くの強心配糖体を含むが,薬効はその複合作用であって,1成分では効果が弱い。ジギタリスはサポニンなども含むので,これらの協力作用によるのかもしれない。第2に一般に作用がゆるやかで持続的で,副作用が少ない。これは期待する薬効と反対の効果をもつ成分が含まれているためと思われる。例えば大黄には瀉下(しやげ)作用のあるアントラキノイドと止瀉作用のあるタンニンが共存し,緩下剤として連用される。一方,生薬の欠点としては有効成分含量が不定で,使用にあたって手間がかかり,飲みにくく,貯蔵が面倒で,しばしば贋偽品(がんぎひん),類似品,偽和品があり,品質が一定でなく,有効性の証明がいまだ十分研究されていないなどがあげられる。
日本は中薬圏に含まれる。医薬品および香辛料として利用される生薬は古来輸入されてきたが,現在では80~85%と江戸時代よりも輸入比率が増大していると思われる。種類,量とも大部分が中国大陸から輸入され,わずかに足りない分を韓国,香港から,そして特殊なものをインド,ベトナム,ネパール,旧ソ連,イラン,マダガスカルなどから得ている。熱帯産生薬は輸入に頼る以外に道はないが,日本に自生する植物や栽培しうるものも少なくない。人参,芍薬(しやくやく),黄連など高価なものは輸出しているが,他の比較的安価な生薬は経済的に採算があわないものが多い。自生の薬草採集には類似植物を見わける能力が必要とされる。また栽培にあたっては他の作物とちがい,生薬として調整されるまでに時間と技術が必要とされ,加えて食糧や蔬菜ほどの需要量がなく,中国が安価に輸出するときは価格が暴落する。生薬の欠点の一つに有効成分含量の不定があるが,これは栽培化することによって解決されるだろう。栽培化は品種改良を容易にするが,その際有効成分含量および単位面積当りの収量増加を目的にすればよい。しかし,生薬には有効成分がいまだ不明なものが多く,また収量が増加しても,生薬としての品質が低下すれば目的は達せられない。しかし成分製剤原料として使う場合はいっこうに支障がない。例えばムラサキの根は紫根という生薬で,有効成分は赤紫色の色素である。栽培によってりっぱな根は得られるが,色は淡く,有効成分が少ないといわれる。作物や園芸植物ならば外見や味覚によって品種を選抜することは可能であるが,生薬の場合は現段階ではまだ十分わかっていない有効成分が多すぎるため,明らかにされた有効成分の収率増加を目的とすることはむずかしい問題である。
生薬を研究する学問を生薬学という。生薬という言葉は1880年大井玄洞がドイツ語のPharmakognosieに対して〈生薬学〉の訳語をあてたことに始まる。古来〈きぐすり〉という言葉があり,和漢薬の研究に対しては〈本草学〉という語があったが,近代科学の1分野として取り扱うという意味から新しく造られた言葉である。Pharmakognosieという語は1815年ザイドラーSeydlerが論文の標題に用いたのが最初で,1832年マルティウスT.W.C.Martiusの《生薬学の基礎Grundriss der Pharmakognosie des Pflanzenreiches》にこの名称が用いられ,今日に至っている。その語源はギリシア語のpharmakon(薬)とgnōsis(知識)である。
生薬についての最古の記録はメソポタミア地方,シュメール人の残した楔形文字板で,前4000年ころといわれる。シュメール文明は前3000年ころから前2400年ころまで栄え,その後はバビロニア,アッシリア,ペルシアの諸王国,諸王朝に継承されて発展し,エジプト,ギリシアに大きな影響を与えた。当時,薬は呪文を唱えながら使って初めて効果があると信じられていた。薬と製剤があり,調製法も記録されている。製剤としては散,液,浸,煎(以上は内用),塗布,坐剤,軟膏,硬膏,巴布(はほう),罨法(あんぽう),浣腸,ローション,薫蒸(以上は外用)などがある。薬は植物性250以上,動物性180以上,鉱物性120以上が記録され,植物性では菖蒲(しようぶ),オリーブ油,ゴマ油,ヒマシ油,大麻(たいま),サフラン,アヘン,ヒヨス,カミツレ,芥子(がいし),桂皮(けいひ),センナ,甘草,石榴根皮(せきりゆうこんぴ)(ザクロ根皮),アーモンドなどが,動物性ではウシやヒツジの乳,ヘビの皮などが,また鉱物類では食塩,硝石,ミョウバンなどが記されている。
エジプトではパピルスに象形文字で生薬が記録された。前1500年ころに書かれた《エーベルス・パピルス》には700種類の植物,動物および鉱物性の薬と800種類の処方があるといわれている。鉱物性生薬の中には宝石類が含まれ,粉にして内用に,また100種類ほどの生薬を混合する多味薬剤があった。現在ミャンマーの伝統的医療の中に同様の製剤がみられる。急性疾患に対しては体内の悪液と病魔を同時に排除する目的で,吐剤,下剤,発汗剤,去痰(きよたん)剤,利尿剤がまず与えられた。製剤としては香料,化粧,吸入剤やかぎ薬,うがい薬,丸薬,トローチ,軟膏などが加わった。
ギリシアでは医学の父といわれるヒッポクラテスがゲンチアナ,大黄,コニウム(ドクニンジン),コロシント(コロシントウリ)など300~400品目をあげている。その中の30以上は苦味健胃に用いられる。テオフラストスが記載した生薬は約480種類で,甘草,アニス,レモン,麦角(ばつかく),トラガカント,胡椒(こしよう),没食子(もつしよくし)などである。ローマ時代,ギリシア人のディオスコリデスは77年《薬物誌De materia medica》全5巻を書いた。それには植物性60,動物性80,鉱物性50品目が記載されている。生薬の種類が多くなり,贋偽,偽和品などの鑑別が必要となったようである。ローマ時代最大の医師ガレノスはギリシア医学を集大成した。ヒッポクラテスの四体液説にしたがって,生薬の四性質説を唱え,多くの複雑な処方をつくった。これがいわゆるガレノス製剤で,ヨーロッパにおいて近代科学が勃興するまで,15世紀もの間支配した。
アラビアでは遠く離れた中国や南海産生薬(樟脳(しようのう),麝香(じやこう),丁子(ちようじ),肉豆蒄(にくずく),白檀油(びやくだんゆ))が組みこまれた。またアラビア独自の発展をみた分野に錬金術があるが,これは後世の化学の基礎となった。
ルネサンス期のコルドゥスV.Cordus(1515-44)により最初の薬局方《Dispensatorium》がつくられ,1546年に出版された。これは17世紀まで各国で版を重ねたが,植物性生薬246品目,417処方が記載されている。パラケルススは,生薬から有効成分を抽出して医薬に供することが化学の使命であると考える医療化学者jatrochemistの始祖である。彼の実証主義は,薬を従来の複雑な処方から,単一の有効物質の追究へと方向転換させた。大航海時代の到来によって16~17世紀には,アフリカ,熱帯アジアやアメリカ産生薬(あるいは薬用植物)がヨーロッパへ移入され,医薬品として使われるようになった。メキシコからのヤラッパ,ペルーからキナ皮,ブラジルからの吐根(とこん),そのほかにコカ葉,タバコ葉,コロンボ根などがそうである。17~18世紀には化学が発達した。K.W.シェーレは天然物から有機化合物を得,これが近代薬学への出発点となった。リンネは博物学者だが,医師で生薬研究家でもあり,二名法をつくり,植物自然分類学の基礎を開拓した。18世紀後半ウィザリングW.Withering(1741-99)は,水腫の患者が民間療法によって軽快したことを知り,使われた20種以上混合した薬草の中からジギタリスにねらいをつけ,強力な利尿効果のあることを発見した。臨床効果が一定していなかったので,根,花,種子,葉を投与した結果,葉に薬効があり,煎剤よりも粉末が一定の効力を現すことがわかった。これは,ヨーロッパ民間薬用(有毒)植物の生薬への純化の過程が,実験薬理学的に進行された証拠である。毒物は大量で用いると危険であるが,少量では最善の薬となるとの考え方が基礎となっている。
19世紀初頭ゼルチュルナーF.W.A.Sertürner(1783-1841)はアヘンから鎮痛作用のある塩基性物質を結晶として分類し,モルヒネと命名して以来,ヨーロッパ生薬および新しく薬局方に収載されていた強力な生理作用を有する各種の熱帯生薬から,生理活性のあるアルカロイドが発見された。ここにおいて薬用植物→生薬→エキス→有効成分の単離という一定の分析的方式が成立し,近代薬学の方向が決定した。この方向はまた,19世紀のヨーロッパにおける近代医学の発展と大きくかかわっている。病原微生物の発見,細菌学の確立,純粋培養,細胞病理学の確立は病気を病人から切り離し,病原体に作用する物質を薬として認識させた。一方,化学が発達し,多数の有機化合物が合成され,医薬として利用するための実験が行われるようになり,合成医薬品が登場した。内分泌物質(ホルモン)や微量栄養因子(ビタミン)欠乏症に対する臨床的実験が行われた。20世紀に入り,さらに一歩前進し,天然物から得た有効成分の類似化合物を人工的に合成し,薬理実験を行って新薬を開発する方法がとられるようになった。
植物の薬物的利用については,《古事記》に大己貴神(おおなむちのかみ)と因幡のウサギの話があるが,これは中国の影響を受けた後とする説もある。4~5世紀ころから朝鮮半島を経由してあるいは中国大陸から直接に,本草書や生薬とともに医師(くすし)が渡来,帰化し,7~8世紀奈良時代以降遣唐使が派遣され,中国医学および生薬が移入された。正倉院薬物60品目は舶来品の代表的なものである。現存する36品目中にはインドや東南アジア産の胡椒,蓽撥(ひはつ),呵梨勒(かりろく),紫鉱(しこう),犀角(さいかく)が含まれている。生薬鑑別をした最古の記録は鑑真によるものといわれている。そのころは生薬は輸入品で貴重であったため,国産の代用品を探索,開発する努力が行われ,《万葉集》に薬猟(くすりがり)の歌が記されている。本邦最初の本草書は《本草和名》(深江輔仁,918)で,和漢名を対照し,和産の有無,産地が記されている。江戸時代には医療の普及によって生薬研究が著しく進歩し,本草学,やがて博物学へと発展した。18世紀8代将軍徳川吉宗は洋書を解禁した。その結果,オランダを通じて西洋の知識が流入した。このオランダ医学は蘭方,それよりも先にポルトガルから渡来した医学は南蛮流と呼ばれる。一方,実証主義,経験を主とする古方医学--日本独自の漢方医学が発達した。明治時代に入り江戸時代に培われた実証主義を基盤に近代科学のとりこみが急速に行われたが,生薬学の領域では漢薬の基原植物の解明および成分研究がなされ,1892年長井長義(ながいながよし)(1845-1929)は漢薬の麻黄からエフェドリンを単離した。これ以降,和漢薬および近縁植物の成分研究が行われ,生薬学の主流となっている。
生薬は薬の座を化学物質に譲り渡してしまったが,これはヨーロッパで生まれた近代科学の方向である。それは薬物が一般の動植物から生薬へ,そして生理活性物質へと単純化していった結果である。アジアには生薬のもう一つの利用法が広く存在している。それは生薬を処方によってつまり複合して使う方法であり,西洋的な薬学の展開とは異なった方向である。しかし,この方面の研究はスタートしたばかりである。
→医薬品 →薬学
執筆者:新田 あや
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
自然界に産する物質のなかで、ヒトあるいは他の動物に対してなんらかの薬効を有するもの、あるいは有するとの考えから使用されているものをいう。生薬は植物性生薬、動物性生薬、鉱物性生薬に3大別することができる。
[難波恒雄・御影雅幸]
俗に草根木皮とよばれているように、いろいろな植物のさまざまな部位が薬用に供される。
(1)全草類生薬 植物体の全体、あるいは地上部全体を1種類の薬物として用いるもので、その種類は非常に多く、とくに民間薬の大半は全草類生薬である。一般に花期のものを採集して用いるが、まれに果実期、あるいは幼少期のものも用いられる。通常、漢方ではそのまま乾燥し、他の生薬と配合して用いられるが、インド医学では新鮮なものも多く利用される。また、民間療法では生(なま)のまま用いられることが多く、絞り汁を内服したり、すりつぶして外用したりすることが多い。
菌類の場合は、子実体、あるいは地下の菌核を薬用として利用することが多いが、なかには、セミタケ類のように寄生宿主をも含めて使用することがある。
(2)葉類(ようるい)生薬 葉のみを薬用とするもので、利用方法は全草類生薬と同様であるが、熟艾(じゅくがい)(もぐさ)のようにヨモギなどの葉に生える毛を集めて利用するものもある。市販品のなかにはしばしば茎や枝、また長い葉柄などの混入するものがあるが、品質的には劣品とされる。なお、ときには葉柄のみが薬用とされる場合もある。
(3)根および根茎類生薬 植物体の地中にある部分を薬用とするもので、根茎と根の区別がはっきりしたものでは、それぞれ単独に用いられることが多い。区別がはっきりしないものは地下部全体が用いられる。これに含まれる生薬は漢薬のなかでも種類が多く、しばしば修治(加工)して用いられる。
(4)果実および種子類生薬 これらの生薬では一般に成熟品が用いられるが、未熟品が使用されることもある。果実の場合は果皮のみの場合もある。また、大形の種子では、通常、破砕あるいは切断したのち、乾燥して用いるが、小形のものでは、そのまま煎(せん)じるか、あるいは粉末化して用いる。まれに花托(かたく)や萼(がく)、果柄があわせて利用されるほか、萼のみ(カキ)、へたのみ(ウリ)が独立した生薬として使用される場合もある。
(5)花類(かるい)生薬 つぼみあるいは咲き始めの花全体を用いるのが一般的である。特殊なものとしては、雌蕊(しずい)(雌しべ)の柱頭のみを用いるもの(サフラン、トウモロコシ)、雄(ゆう)蕊(雄しべ)のみを用いるもの(ハス)、花粉のみを用いるもの(ガマ)などがある。
(6)皮類(ひるい)生薬 樹木や根の皮層部(形成層の外側)を薬用とするもので、通常はコルク層を除去して用いる。
(7)茎類(けいるい)生薬 木質の茎、つるなどを薬用とするもので、通常は皮層とともに用いるが、木部のみ、髄部のみが単独で使用されることもある。
(8)樹脂類生薬 植物体を傷つけたときに出る樹液や乳液を薬用とするもので、松脂(まつやに)のように自然に産するものと、アヘンのように人工的に得るものとがある。
(9)エキス類生薬 植物体の水性エキスを煮つめたもので、通常は乾固して用いるが、流体のものもあり、これはとくに流(りゅう)エキスとよばれる。
(10)その他 (9)までには含まれない特殊なもので、植物体に生じる刺状(しじょう)物、巻きひげ、虫こぶなどが含まれる。
[難波恒雄・御影雅幸]
一般に大形動物の場合は体の一部のみ、小形動物の場合は全体を薬用とする。大形動物では角(つの)、皮、骨、内臓器、歯、舌、生殖器、排泄(はいせつ)物などのほか、特殊なものとしては、胎児、胎盤、病的に生じた結石、膠(にかわ)質などがある。また、昆虫の場合は、成虫、幼虫、蛹(さなぎ)、巣、抜け殻などの全型を薬用とするほか、排泄物やろう質が利用されることもある。そのほか貝殻、サンゴなども薬用とされる。動物性生薬は、しばしば黒焼きとして利用される。
[難波恒雄・御影雅幸]
岩石類のほか、水(雨水、井戸水、泉水など)、動植物の化石化したものなどがある。特殊なものに、かまどの土、溶岩などがある。服用に際しては、粉末にしてそのまま服用するか、あるいは煎用される。また、修治法としては熱や酸を加える方法が行われる。
[難波恒雄・御影雅幸]
生薬は、合成された純粋な化学薬品とは異なり、同一名の薬物でもその産地や採集時期などによって、含有される成分組成が異なるのが常である。また、多くの生薬には異物同名品があるほか、いくつかの等級に分けられるものもあるため、その品質は複雑なものとなっている。したがって、生薬の正しい基源については、現在の市場調査、あるいは過去における市場調査の結果などを踏まえたうえで、さらに本草(ほんぞう)学的な考察を加える必要がある。なお、民間薬の場合には、こうした文献が存在していないので、研究は困難となっている。また、多くの生薬においては、その有効成分がまだ解明されていないため、成分化学的に品質を評価することも現段階では問題が多い。しかし、最近は各分野において精力的な研究が進められており、薬理、臨床医学的な研究とあわせて、今後の発展的な成果が期待されている。
[難波恒雄・御影雅幸]
『大塚敬節著『漢方と民間薬百科』(1966・主婦の友社)』▽『N・テーラー著、難波恒雄・難波洋子訳注『世界を変えた薬用植物』(1972・創元社)』▽『三橋博著『生薬の世界』(1978・講談社)』▽『難波恒雄著『原色和漢薬図鑑』上下(1980・保育社)』▽『高木敬次郎他編『和漢薬物学』(1982・南山堂)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その代表的なものが,後漢(1~3世紀)のころの《神農本草》と,《傷寒論(雑病論)》である。前者は,西方山地に発達したとされる〈薬効ある自然物〉に関する知識をまとめたもので,中国医学における薬学(本草学)の基礎となったものであり,後者は,身のまわりに存在するありふれた薬物(生薬)を適宜に組み合わせて,その総合的効果が十分に発揮できる特定の条件の疾病に用いるという,当時の江南地方の医術における経験が整理され,一定の薬物を配合した処方に適応する条件(これを証という)という根本概念を把握し,体系化したものである。 漢方医学は,高度な臨床治療体系をもち,非常に実用的なものであり,観念的,神秘的な色彩のまったく認められない実践的医学体系であった。…
…その他臨床検査に使用される試薬類,化学薬品の定性試験や定量試験に用いられる試薬類も化学薬品の一つである。 一方,医薬品という点からみれば,上記のような化学薬品のほかに,動植物など天然産のものをそのまま,あるいは若干加工して用いる生薬が含まれる。また西洋医学で用いられる種々の医薬品のほかに,東洋医学で用いられてきた漢方薬がある。…
…これを漢方医学というが,この言葉は中国医学とほとんど同義に使われることもあるから注意を要する(東洋医学)。
[特徴]
中国医学で用いている薬品は,生薬(しようやく)つまり乾燥とか細切などの簡単な加工を施しただけの天産品である。生薬の使用は高度に発達した近代の西洋医学を除けば普通に見られることで,珍しい現象ではないが,中国医学の場合にはその性質や使用法を含めて,独特の理論体系に従っている点が他に例のない特徴である。…
…
[日本の民間薬]
日本では民間薬に対比されるものに漢方薬がある。ともに生薬であり,人類の長い歴史を経て,植物,動物,鉱物界の多彩な天産品を病気の治療に用いる点では共通するが,漢方薬は独自の医学体系の理論を習得した医師が,特定の診断基準に基づいて用いるものである。また,漢方薬は通常,複数の薬物を配合した漢方方剤として用いられるのに対し,民間薬は大部分,単味で用いられる。…
…これらはそれぞれ既知の薬効成分や新しい生理作用を有する成分,あるいは薬物への化学転換の容易な物質の発見の結果,ふつうの植物が薬用植物として認識され利用されるようになったものである。新鮮な植物の葉をもんで傷口に貼ったり,1種類あるいは数種類の生薬を煎じて服用したりした時代とは異なり,化学的な成分の分析,有効成分の検索により,新しい薬用植物,用途が開発されつつある。
[薬用植物とその利用形態]
薬用植物は下等植物から高等植物まで,小は細菌から大は樹木まで幅広くみられる。…
※「生薬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新