中泉庄(読み)なかいずみのしよう

日本歴史地名大系 「中泉庄」の解説

中泉庄
なかいずみのしよう

大平おおひら町を中心に栃木市の中央南部、小山おやま市の西の一部、藤岡ふじおか町の北の一部を含む、東西約六キロ・南北約八キロほどのかなり広い庄域をもった庄園。平安末期、前摂政近衛基通家領であったが、成立年次や成立過程は不明。南北朝期から室町期にかけては西御庄とも称されていた。年月日未詳の某書状断簡(金沢文庫古文書)に「中泉本庄内今泉郷」とあるので、当庄は本庄方・新庄方に分れていたものと思われる。

「吾妻鏡」文治元年(一一八五)一〇月九日条に「下野国中泉庄」とあり、土佐房昌俊は源義経追討に際して、老母や子供のために源頼朝から当庄を拝領している。同書同四年三月一七日条には「下野国中泉、中村、塩谷等庄事」とみえ、治承・寿永の内乱期、当庄は平家没官注文に載せられはしないものの、頼朝の支配下に置かれていた。頼朝は東大寺造営料所として当庄を寄進しようとしたが、本家が不明のため、朝廷に上奏して調査を依頼した。その結果近衛基通家領であることが判明したので、近衛家に返還され、近衛家家司平棟範に年貢が送進されることになった(同書文治四年四月一二日条・同六月四日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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