土佐房昌俊(読み)とさのぼうしょうしゅん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

土佐房昌俊
とさのぼうしょうしゅん

[生]?
[没]文治1(1185).10.17. 京都
鎌倉時代初期の武士。文治1 (1185) 年 10月 17日源頼朝命令を受けて,源義経を京都の堀河の宿所に急襲し,失敗して義経に斬られた。もと頼朝の父義朝の家来で,義朝の死後出家したともいう。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土佐房昌俊 とさのぼう-しょうしゅん

?-1185 平安時代後期の僧,武士。
大和(奈良県)興福寺西金堂の堂衆。のち土肥実平(どひ-さねひら)の仲介で源頼朝にしたがう。文治(ぶんじ)元年10月頼朝の命で京都六条室町の源義経邸を襲撃するが失敗,鞍馬(くらま)山ににげるが捕らえられ,10月26日六条河原で処刑された。「平治物語」では,渋谷重家の子で金王丸といい,はじめ源義朝につかえたとする。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

土佐房昌俊
とさぼうしょうしゅん
(?―1185)

鎌倉初期の武士で源頼朝(よりとも)の家臣。前身については伝承が多い。1185年(文治1)頼朝と弟義経(よしつね)の対立が激しくなり、鎌倉で義経誅伐(ちゅうばつ)の群議が行われると、昌俊は進んで刺客の役を引き受けて上洛(じょうらく)。同年10月17日、60余騎を率いて京都堀河(ほりかわ)の邸に義経を急襲するが、反撃にあい鞍馬山(くらまやま)の奥に逃れた。しかし僧徒に捕らえられ義経に引き渡されて、同月26日、六条河原で斬首(ざんしゅ)された。

[田中文英]

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