中津軽郡(読み)なかつがるぐん

日本歴史地名大系 「中津軽郡」の解説

中津軽郡
なかつがるぐん

面積:四九九・一二平方キロ
岩木いわき町・相馬そうま村・西目屋にしめや

青森県の南西部に位置し、東と北は弘前市、北と西は西津軽郡鰺ヶ沢あじがさわ町に接し、南は白神しらかみ山地を境に秋田県北秋田きたあきた田代たしろ町・山本やまもと藤里ふじさと町に接する。郡のほぼ中央を南から北東に岩木川が流れ、中央部に弘前市の飛地東目屋ひがしめや地区がある。南東部・南部・西部は秋田県から続く大鰐おおわに山地・目屋丘陵・白神山地で、北端に単独峰岩木山(一六二五・二メートル)がそびえる。北東部の弘前市に接する部分に岩木川によって形成された津軽平野が開ける。岩木川には白神山地に発する栩内とちない川・相馬川・大秋たいあき川など、岩木山に発する後長根うしろながね川・旧大蜂きゆうだいはち川・大蜂川・大石おおいし川などが注ぐ。同じく岩木山を水源とする中村なかむら川・鳴沢なるさわ川などは北流して日本海に注ぐ。

現郡名は明治一一年(一八七八)津軽郡が東・西・南・北・中に分割された時に始まる。

〔原始・古代〕

岩木山北東麓から南麓にかけての地域と岩木川流域に遺跡が多い。岩木川に相馬川が合流する地点の西方丘陵上に白山堂はくさんどう遺跡(相馬村紙漉沢)があり、縄文時代晩期の土器のほか土師器須恵器を出土し、平安時代のものと思われる方形の竪穴住居跡と溝状の遺構も発見された。岩木山南麓にある湯ノ沢ゆのさわ遺跡(岩木町百沢)は竪穴住居跡や土器・石器が発見された縄文後期・晩期の遺跡。岩木山南東麓の荒神山こうじんやま遺跡(同町植田)からは平安時代のものと思われる竪穴住居跡と中世の墳墓とみられる墳丘群が発見され、縄文土器のほか平安時代のものと思われる土師器や中国銭ならびに人骨が出土。岩木山南西麓だけ温泉に近い常盤野ときわの遺跡(同町常盤野)からは平安時代の竪穴住居跡が発見され、土師器・砥石・鉄滓などが出土。西目屋村の岩木川左岸台地上にある稲葉いなば遺跡(2)からは平安時代の土師器・須恵器が採集されている。

古代を語る遺跡や遺物は多いが、文献史料のうえでは「三代実録」元慶二年(八七八)七月一〇日条に、藤原保則の出羽征討に際し「津軽夷俘、其党多種、不知幾千人、天性勇壮、常事習戦、若速逆賊、其鋒難当」と津軽の夷俘に対する当時の中央の見方が述べられているにすぎない。当郡のみならず津軽全域はまだまったく中央政権に服しておらず、律令制の枠外にあったと思われる。古代にかかわる人名として、行基や坂上田村麻呂の伝説があるが、もちろん実際の年代までさかのぼるものではなく、当地方では比較的古い歴史を推測させるにすぎない。

〔中世〕

文治五年(一一八九)平泉ひらいずみ(現岩手県西磐井郡平泉町)藤原泰衡は源頼朝に滅ぼされ、翌六年泰衡の郎従大河兼任が鎌倉政権への反乱を起こして敗れ、奥羽における鎌倉幕府の支配権が確立した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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