日本歴史地名大系 「中津軽郡」の解説
中津軽郡
なかつがるぐん
青森県の南西部に位置し、東と北は弘前市、北と西は西津軽郡
現郡名は明治一一年(一八七八)津軽郡が東・西・南・北・中に分割された時に始まる。
〔原始・古代〕
岩木山北東麓から南麓にかけての地域と岩木川流域に遺跡が多い。岩木川に相馬川が合流する地点の西方丘陵上に
古代を語る遺跡や遺物は多いが、文献史料のうえでは「三代実録」元慶二年(八七八)七月一〇日条に、藤原保則の出羽征討に際し「津軽夷俘、其党多種、不知幾千人、天性勇壮、常事習戦、若速逆賊、其鋒難当」と津軽の夷俘に対する当時の中央の見方が述べられているにすぎない。当郡のみならず津軽全域はまだまったく中央政権に服しておらず、律令制の枠外にあったと思われる。古代にかかわる人名として、行基や坂上田村麻呂の伝説があるが、もちろん実際の年代までさかのぼるものではなく、当地方では比較的古い歴史を推測させるにすぎない。
〔中世〕
文治五年(一一八九)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報