日本歴史地名大系 「中淵村」の解説 中淵村なかぶちむら 大分県:大分郡庄内町中淵村[現在地名]庄内町渕(ふち) 中渕(なかぶち)・山井(やまい)・畑(はた)・中園(なかぞの)・灰塚(はいづか)・大原(おおはる)・山本(やまもと)など時(とき)山(九五八・三メートル)の北東麓、大分川右岸の上淵(かんぶち)村の東にある。慶長六年(一六〇一)府内藩領となり、正保郷帳に村名がみえ田高二八〇石余・畑高一一四石余、阿南(あなん)庄に所属。柴山あり。延宝四年(一六七六)松平(大給)近鎮に分知され(「寛政重修諸家譜」など)、元禄一〇年(一六九七)の府内領郷帳(府内藩記録)では高四一二石余。奥郷野畑組に属した(同記録)。幕末まで同家領で、旧高旧領取調帳では高四三六石余。上淵村と当村の鎮守である三淵天満宮、八幡宮(大原)・稲荷大明神社・権現社、萬寿(まんじゆ)寺末の禅宗正徳(しようとく)寺、真宗の支院でもと大日寺と号した円城(えんじよう)寺、弘仁二年(八一一)百合若麻呂建立と伝える円通寺、貞享元年(一六八四)寺号免許の浄土真宗東派妙雲寺、天和元年(一六八一)開基の同派聞信寺、享保五年(一七二〇)開基の無量庵・清教庵、宝永七年(一七一〇)開基の通起庵、竜樹庵、閻魔堂(山井)、妙見菩薩祠(板井)があった(雉城雑誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by