中矢田村
なかやだむら
北は城地、東は古世村、南は上矢田村、西は下矢田村。中世は矢田庄の地。
亀山城築城で村内から人家を城下に移して矢田町・京町を形成。ただし京町の地は古世村分、矢田町の地は下矢田村分であった。天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」では高一七五・六六石、戸数五七、亀山藩領。五穀のほか綿・煙草・大根などをつくった。
当村は亀山城下から鍬山神社へ行く表参道にあたり、村の南端に一の鳥居・御旅所がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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