矢田町(読み)やだちよう

日本歴史地名大系 「矢田町」の解説

矢田町
やだちよう

下京区綾小路通新町西入

東西に通る綾小路あやこうじ(旧綾小路)を挟む両側町。

平安京の条坊では左京五条三坊一保一町南側及び同二町北側、平安中期以降は綾小路西洞院大路東の地。平安京域では、当町北つら四条宮しじようのみやの敷地に含まれ、南頬は紅梅殿こうばいどのの一部にあたる。永和二年(一三七六)の大山崎住京新加神人等被放札注文(大山崎離宮八幡宮文書)によると、「開戸保」の中に、「一所、綾小路町西南頬 善願」とあり、当町南頬に油商人が居住した。

応仁の乱前の様子を描いたといわれる中昔京師地図によると、当町南頬西角に「矢田寺」が所在する。創建年代は不詳であるが、大和国の矢田山金剛こんごう寺の別院として地蔵尊本尊とした。六地蔵信仰が盛んになった室町時代には、その一つに数えられ、応永二五年(一四一八)勧進平家が興行されたとき、地蔵の錫杖が振り動かされたと評判になった(親長卿記)

矢田町
やだまち

[現在地名]桑名市西矢田にしやだ町・東矢田ひがしやだ

鍋屋なべや町の西にあり、東海道筋の東西一条長さ二七三間の町屋敷地。東矢田・西矢田と分称する。「久波奈名所図会」に「当町は往古矢田村なり。家建続ての後町となれり。元来村名あるゆへに今尚矢田村の村役六分当町より勤む。新矢田村より四分つとむ」とある。当町西端より北へ入った所を小字名水車みずぐるまと称する。町屋まちや川水道を利用して、江間四郎左衛門が水車屋を始めたので地名となった。

矢田町
やだまち

[現在地名]亀岡市矢田町やだちよう

大手門おおてもん前通り南北の南部の町、北は新町しんまち大手門に至る。町の中ほどから東へ呉服町ごふくまち、西へ塩屋町しおやまち町並がある。大手門から近在の氏神である上矢田村鍬山くわやま神社への表参道へ続く町でもある。町並の長さは五五間。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報