中福田村
なかふくだむら
[現在地名]八束村中福田
上蒜山南面の蒜山原から東流する旭川までを村域とし、同川左岸の沖積平野に水田が開ける。支流の湯船川・玉田川の河口に富先・宮脇・原・樋ノ爪、湯船川沿いに七石の集落がある。東は富掛田村、西は上福田村(現川上村)、南は旭川を隔てて本茅部村(現同上)。当村上・下の福田村一帯は中世福田郷と称されていたと考えられ、仁治三年(一二四二)一二月一七日の久見村(現湯原町)の公用皆済状(福田神社文書)によれば同村が納めた年貢のうち一石は「ふくたこうの宮御まつり」料に充てられた。応永一四年(一四〇七)の正富名等公用皆済状(同文書)によると郷内に正富名・松掛名・富先名があった。正保郷帳によれば田高二二二石余・畑高五二石余、元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳によれば改出高六四石余・開高九石余、元禄初頭の家数五四・人数三三五(作陽誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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