日本歴史地名大系 「中穂積村」の解説 中穂積村なかほづみむら 大阪府:茨木市中穂積村[現在地名]茨木市中穂積一―三丁目・上穂積(かみほづみ)一丁目・上穂東(かみほひがし)町・春日(かすが)二丁目・西駅前(にしえきまえ)町・見付山(みつけやま)一―二丁目・西穂積(にしほづみ)町・中穂積・北春日丘(きたかすがおか)一―二丁目・同四丁目・美穂(みほ)ヶ丘(おか)上穂積村の南にあり、東西に長い村であるが、平地は東辺の一部のみで、西は標高七〇メートル前後の千里丘陵。集落の東を亀山(かめやま)街道が通る。「和名抄」島下(しましも)郡穂積郷に属したと考えられる。古くは「久定(くじよう)村」と称したと伝える(大阪府全志)。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図に高一千三五一石余の「久定村」がみえるが、このなかには上穂積村・下穂積村分も含んだと考えられ、元和初年の摂津一国高御改帳には同高の「久定穂積・上敷」がみえ、江戸時代中頃まで上穂積村・下穂積村とともに「穂積村」といわれ、江戸時代を通じて三村とも同領主(→上穂積村)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報