上穂積村
かみほづみむら
現穂積町の東部に位置し、長良川の西方平坦低湿地に立地。古代の穂積郷(和名抄)の遺称地。中世にも穂積郷が存続、村域に領下分・土居ノ内の地名が残る。天正三年(一五七五)三月一三日の長井雅楽頭宛織田信長朱印状(近江下郷共済会蔵文書)によれば、当時穂積城に拠って一帯を領していた長井氏に、伊勢国桑名から穂積まで長良川を上下する積荷のうち馬諸役は郷質にとってはならぬと命じている。同一〇年六月京都本能寺の変後、安藤守就父子が当地を領したという(新撰豊臣実録)。
上穂積村
かみほづみむら
[現在地名]茨木市上穂積一―四丁目・上穂東町・西穂積町・見付山二丁目・新郡山二丁目・上穂積
郡村の南にあり、東は平坦な地形であるが、西は千里丘陵。集落の西を亀山街道が通り、郡山宿から茨木村へ出る道が村を横切る。集落西方には飛鳥時代後期の焼けた瓦が出土する穂積廃寺跡がある。「和名抄」島下郡穂積郷の地と考えられ、宝亀一一年(七八〇)の西大寺資財流記帳(内閣文庫蔵)に南都西大寺領田園山野図のうち一巻が「島下郡穂積村」の図であることを記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 