日本大百科全書(ニッポニカ) 「中興俳諧」の意味・わかりやすい解説
中興俳諧
ちゅうこうはいかい
江戸中期の一つの文学動向。明和(めいわ)の中ごろ(1766~67)から寛政(かんせい)の中ごろ(1794~95)までの、新しい作風の俳諧をいう。蕉風(しょうふう)(芭蕉(ばしょう)の俳風)復興を目標としたが、結果的には別種の新風を開いた。蕪村(ぶそん)、太祇(たいぎ)、召波(しょうは)らの俳諧グループ三菓社の結成(1766)、暁台(きょうたい)らの『秋の日』の成立(1768)、嘯山(しょうざん)らの『平安二十歌仙』(1769)の刊行などが中興俳諧の始まりを示している。『あけ烏(がらす)』(1773)の几董(きとう)の序文によって、その動向がそのころすでに全国的なものになっていることがわかる。統一的な文学運動ではなかったが、共通する特色として、清新でロマンチックな叙情性を認めることができる。代表的な俳人としては、ほかに蓼太(りょうた)、麦水(ばくすい)、闌更(らんこう)、樗良(ちょら)、白雄(しらお)らがある。
[山下一海]