江戸中期の俳人。姓は高井,幼名は小八郎,別号は晋明,高子舎,春夜楼,3世夜半亭など。京都の人。俳諧ははじめ父几圭に学んだが,その時期の作品は少ない。几圭没後の1770年(明和7),蕪村の夜半亭2世継承(1世夜半亭は巴人(はじん))とともに蕪村の門に入り,頭角をあらわした。72年(安永1),父几圭の十三回忌追善の意味をもつ処女撰集《其雪影》を刊行して世に認められ,翌年はじめて歳旦帳《初懐紙(はつかいし)》を刊行し,自分の結社である春夜楼の存在を世に示した。またこの年には蕪村,樗良(ちよら),嵐山とともに《此ほとり》の四歌仙を巻き,さらにその翌年には,上京してきた暁台(きようたい)と交わるなどして他門にも知られるようになった。《あけ烏》(1773),《続明烏》(1776)など,蕪村一派の力を世に問う撰集を編纂し,その中心人物として内外から認められた。蕪村没後の85年(天明5),《続一夜松集》編纂のため江戸に下り,蓼太のすすめによって夜半亭3世を継承した。88年正月,京都の大火に類焼してからは,門弟のもとを転々とし,伊丹の士川宅で急逝した。几董の死によって夜半亭は絶え,門弟紫暁は春夜楼2世を継いだ。作風は繊細な感覚を生かして,巧緻である。編著はほかに《から檜葉》《桃の雫》《蕪村句集》《新雑談集》《点印論》などがあり,発句は《井華集》にまとめられている。〈絵草子に鎮(しず)おく店や春の風〉(《井華集》)。
執筆者:山下 一海
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸中期の俳人。姓は高井。幼名小八郎。前号雷夫(らいふ)。別号晋明(しんめい)、春夜楼(しゅんやろう)、高子舎(こうししゃ)、3世夜半亭(やはんてい)等。京都の人。初め父几圭(きけい)に俳諧(はいかい)を学んだが、父の没後、29歳のとき蕪村(ぶそん)に入門、『其(その)雪影』『あけ烏(がらす)』『続明(あけ)がらす』などを編纂(へんさん)、刊行して名をあげた。蕪村門下の筆頭格で、蕪村とともに中興期俳諧において指導的役割を果たした。
蕪村没後、一時俳壇から退いたが、1785年(天明5)江戸の蓼太(りょうた)の勧めによって蕪村の跡を継ぎ、夜半亭3世を名のった。1788年いわゆる天明(てんめい)の大火に類焼してからは京坂地方の門弟の間を転々とし、翌寛政(かんせい)元年の10月23日、伊丹(いたみ)の士川(しせん)宅で、酒杯を重ねるうちに没したという。作風は繊細優婉(ゆうえん)で、独特の魅力がある。
絵草紙(ゑざうし)に鎮(しづ)おく店や春の風
[山下一海]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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