20世紀日本人名事典 「中西牛郎」の解説
中西 牛郎
ナカニシ ウシオ
明治〜昭和期の宗教思想家 扶桑教大教正。
- 生年
- 安政6年(1859年)
- 没年
- 昭和5(1930)年10月18日
- 出生地
- 肥後国(熊本県)
- 別名
- 号=蘇山
- 経歴
- 幼少より中村直方、平河駿太に漢学、木村弦雄に漢学、洋学を学ぶ。のち東京の勧学義塾で英語を修め、更に同志社に転学。明治14年神水義塾を開き、傍ら済々黌で教鞭をとる。政党が起こると「紫溟雑誌」「紫溟新報」記者となり、また仏教を研究した。21年米国へ遊学、帰国後西本願寺文学寮の教頭となり、その傍ら雑誌「経世博義」を刊行して国粋主義を鼓吹した。井上円了、村上専精らに代表される「破邪顕正」運動の最盛期に、「宗教革命論」「組織仏教論」「宗教大勢論」「仏教大難論」「新仏教論」などを刊行し、宗教文壇の一方の雄と見られた。のち「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」の記者となり、32年清国政府官報局翻訳主任、同年天理教の教典編述に従事、また台湾の土地調査局、台湾総督府の嘱託として活躍。昭和2年神道扶桑教権大教正となり、同教の教典の撰述に従い、ついで同教大教正に就任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報