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天理教 てんりきょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天理教
てんりきょう

大和国山辺郡三昧田村 (奈良県天理市) の庄屋前川半七,きぬの長女として生れ,のちに中山善兵衛にとついだ中山みき天保9 (1838) 年 10月 26日 41歳のとき,天啓により開教した。みきは,神意の伝達者である「神のやしろ」となり,以来,家財を貧しい人々に施し,神のいわれた「貧に落ち切れ」を実践。みきの教えによれば,親神は人間の「陽気ぐらし」を楽しみに人間世界を創造したが,人間は神意に反してみずからに苦悩を招いてきた。その人間を救済するために親神が現れ,人間創造の「元の理 (ことわり) 」に戻るために「かぐらづとめ」を教え,「陽気ぐらし」の世の中に立直そうというもの。 1888年神道天理教会として公認されるも,明治政府の国家神道体制下にあって教義や儀礼の整備を余儀なくされ,天理教が一派独立するのは 1908年であった。敗戦後,ようやく信教の自由を得,それまで抑圧されていた教祖本来の教えに戻ろうとする「復元」という動きが現れ,一時期加盟していた教派神道連合会から 1970年に脱会。神道色を払拭した。みきは慶応2 (1866) 年ころから儀礼の形式と内容を次第に整え,『みかぐらうた』をつくり,明治2 (69) 年から同 15年にかけて『おふでさき』を執筆。さらに,みきの晩年の教えと本席の飯降伊蔵の教えを筆録した『おさしづ』を原典としている。 1996年の信者数は約 190万人に達し,その分布は日本全国はもとより東南アジア,アメリカにまで及んでいる。本部は奈良県天理市三島町

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デジタル大辞泉の解説

てんり‐きょう〔‐ケウ〕【天理教】

教派神道の一。大和の農婦中山みきを教祖とし、天保9年(1838)に創始。明治41年(1908)一派独立。教義は「みかぐらうた」「おふでさき」などに示され、真の世界平和、陽気ずくめの世界に建て替えるために、人間は我心を捨て神命に奉仕すべきであると説く。天理王命(てんりおうのみこと)を主神とする。
中国、代に、白蓮教などの影響を受けて生じた民間の宗教運動。八卦(はっけ)の名を用いて教徒を組織したことから、八卦教ともいう。1813年に、林清らを指導者として、華北反乱を起こしたが、短期間で鎮圧された。

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百科事典マイペディアの解説

天理教【てんりきょう】

教派神道十三派の一つ。明治末期に急速に発展,最も充実した組織をもつ大教団の一つ。教祖中山みきは大和の地主の主婦で,大塩平八郎の乱の翌年(1838年),天理王命(国常立尊・国狭槌(くにさづち)尊・オオヒルメノミコト・月読命など5組10柱の神の総称)の神託を受けて開教。
→関連項目宇田川文海新宗教天理[市]ほんみち立正佼成会

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世界大百科事典 第2版の解説

てんりきょう【天理教】

習合神道系の創唱宗教。1838年(天保9)大和国山辺郡庄屋敷村(現,奈良県天理市)で,地主の主婦中山みき(1798‐1887)が開教した。みきは浄土宗をあつく信じていたが,41歳のとき,長男の病気を治すために招いた山伏の加持台をつとめ,神がかりしてみずから〈天の将軍〉〈元の神,実の神〉〈大神宮〉と名のり,〈三千世界のたすけ〉のため天降ったと宣言した。開教後,中山家は没落の一途をたどったが,みきは近隣の農民,職人らに安産と病気なおしのたすけを通じて,親神〈てんりんおう〉の信仰を広めるようになった。

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大辞林 第三版の解説

てんりきょう【天理教】

1838年、大和国の中山みきが天啓を受けて創唱。「親神おやがみ」天理王命てんりおうのみことによる世界の救済を説き、祈念と奉仕と相互扶助による平和で幸福な「陽気ぐらし」の実現をめざす。教義を示したものに「みかぐらうた」「おふでさき」「おさしづ」がある。本部は奈良県天理市にあり、人間創造の聖地「元もとのぢば」とする。
中国、清代の白蓮教系の秘密宗教結社。教祖は皓生文。華北に広まり、1813年に反乱を起こしたが、三か月で平定された。易の八卦で吉凶禍福を予言したので八卦教ともいう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天理教
てんりきょう

1838年(天保9)から1887年(明治20)にかけて大和(やまと)国(奈良県)の農家の主婦であった中山みきの説いた人類創造神(「親神(おやがみ)」「天理王命(おうのみこと)」と呼称)の教えに基づいて成立した宗教。教祖中山みきは1838年10月26日天啓により「神のやしろ」(神意伝達者)となり、以来50年間、嘲笑(ちょうしょう)や迫害のなかで神意を説き続けた。みきの教えによれば、親神は人間の「陽気ぐらし」を楽しみに人間世界を創造したが、人間は心の自由のままに神意に背き、自らに苦悩を招いてきた。その人間を救(たす)け上げるために親神が現れ、人間創造の「元(もと)の理」を明かし、その「元」へ帰るための「かぐらづとめ」を教え、身上(みじょう)(病苦)救けのための「さづけの理」を渡し、世界を「陽気ぐらし」の世に立て替える段取りを進めるという。みきの没後は高弟飯降伊蔵(いぶりいぞう)(1833―1907)が1907年(明治40)まで神言を伝える。その間に、1888年4月神道(しんとう)直轄天理教会として認可され、1908年には教派神道の一派として独立を公認される。第二次世界大戦後、ようやく信教の自由を得、2代真柱(しんばしら)中山正善(しょうぜん)(1905―1967)の指導のもと、それまで抑えられていた教祖の本来の教えが表に出され、教団は教派神道の枠から離脱した。天理教の聖典は、みきの直筆である『おふでさき』と『みかぐらうた』、およびみきと伊蔵を通しての神言の筆録『おさしづ』の三つである。本部は奈良県天理市三島にあり、神殿の中央は人間創造の「元のぢば」として四方から礼拝する形になっており、教団の経営する図書館、参考館、病院などの諸施設、大学・高校などの学園も整備されている。教団は本部を頂点として、大教会―分教会―布教所などに組織されている。教会数1万6358、布教所数1万6908、教師数14万8141、信者数116万9275(『宗教年鑑』平成26年版)。柔道、野球、ホッケーなどをはじめスポーツ活動も盛んである。[松本 滋]
『松本滋著『天理教の信仰と思想』全3巻(1983・天理教道友社) ▽天理教教会本部編『天理教教典』改訂版(1984・天理教道友社) ▽寺町武夫著『天理教教理の21世紀的解釈――“陽気ぐらし”のしん(深・真・神)意を探る』(1991・善本社) ▽藪景三著『天理教教祖(おやさま)中山みき』(1995・鷹書房弓プレス) ▽深谷忠政著『天理教教祖論序説』(1996・天理教道友社) ▽大谷渡著『天理教の史的研究』(1996・東方出版) ▽宮田元著『神と人間のつながり――世界をどう見るか』(1996・天理教道友社) ▽天理大学附属おやさと研究所編『天理教事典』(1997・天理教道友社) ▽木下民善著『「共生」へのライフスタイル――天理教教理からの序説』(1998・善本社) ▽小滝透著『おやさま――天理教教祖中山みき伝』(2000・奈良新聞社) ▽矢持辰三著『天理教の人生観』(2000・天理教道友社)』

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世界大百科事典内の天理教の言及

【飯降伊蔵】より

…幕末・明治期の天理教の組織者で〈本席〉。大和国宇陀郡の農民で,22歳ころ,添上郡櫟本村に移り大工職となった。…

【天理[市]】より

…人口7万4188(1995)。天理教の教会本部が置かれた三島から川原城にかけては多数の母屋(信徒宿泊所),大学,図書館,病院といった教会関係施設が建ち並び,年間100万人をこえる信徒が訪れるなど,宗教都市的色彩が濃厚である。また,天理駅(JR桜井線,近鉄天理線)と教会本部を結ぶ街路沿いには商店街がひらけ,天理駅一帯は市の中心地として発達している。…

【天理教の乱】より

…中国清代,華北に蜂起した天理教徒の乱。天理教は白蓮教,弘陽教を混合した民間宗教であるが,八卦(はつか)の名により教徒を分属組織したことから八卦教ともいう。…

【中山みき】より

…天理教教祖。大和国(奈良県)山辺郡三昧田村の地主の長女に生まれ,13歳で丹波市(現,天理市)近郊の庄屋敷村の中山家に嫁した。…

【ほんみち】より

天理教の地方幹部大西愛治郎(1881‐1958)が1913年に開教した天理教系の新宗教。大西は奈良県宇陀郡宇太村に生まれ,奈良師範(現,奈良教育大学)在学中に母の難疾から天理教に入信,1900年学業を放棄して単独布教に出発,群馬県安中で成果をあげ,04年より山口県の教会復興にあたった。…

※「天理教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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