朝日日本歴史人物事典 「小田海僊」の解説
小田海僊
生年:天明5(1785)
江戸後期の南画家。名は贏,字は巨海。百谷,海僊,茂林外史などと号した。通称は良平。長州(山口県)赤間関の染工の家に生まれる。22歳で上京。はじめ呉春につき写生的な画風を修得したが,のち頼山陽の助言で,中国元明の古蹟や,粉本を学び,南宗画法に転じた。その勉励の貌は小石元瑞から画痩といわれるほどであったという。頼山陽と共に九州に遊ぶこと5年,帰京ののち画名を高め,中林竹洞,浦上春琴らと並び称せられた。
(星野鈴)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報