中野河岸(読み)なかのかし

日本歴史地名大系 「中野河岸」の解説

中野河岸
なかのかし

[現在地名]君津市清和市場

市場いちば河岸ともいう。小糸こいと川上流二〇ヵ村の旗本曾根領から出される御用荷物などを川下げ(船積み)した河岸。古くから領主荷物の運送が盛んで、天和―元禄(一六八一―一七〇四)にかけては曾根氏が江戸の商人と契約し、領主山から大量の才真木や炭などを川下げしていた(「才真木請負証文」川俣家文書)

曾根領の所持舟数は古来一八艘あり(「小糸川十分一発由緒」尾車自治会文書)、享保一四年(一七二九)には市場村の舟持が一九艘もっていた(「川舟名題証文」清和公民館文書)。延享四年(一七四七)舟持が陣屋代官に出した願書(星野家文書)によれば、同村舟持たちは年末御用の役船の印札を受けて運漕を行ってきたが、近年運上請負方手船が多くなったため座船が減少した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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