日本歴史地名大系 「市場村」の解説
市場村
いちばむら
紀ノ川の北側に位置し、村域を南に
中世は高野山領名手庄に含まれ、市場があったところである。建長二年(一二五〇)一二月二日付の官宣旨(宝簡集)に、名手庄で「尋示朽、論鎮斎榊、取市津料、行牛神祭」とあるが、この市がそれであろう。名手庄は五ヵ村に分けられていたが、当村はそのうちの
市場村
いちばむら
北流する三重川と西から流れてきた
市場村
いちばむら
南境を鶴見川が東流し鶴見村、西境を鶴見川の枝流の
正保国絵図に村名がみえる。幕府直轄領で、うち一部が元禄一〇年(一六九七)から一時期旗本木造領、幕末旗本松波領となり二給。田園簿によれば沼田見取場一町四反余があり、野場役塩二二俵を課された。享和三年(一八〇三)の村明細帳(添田文書)によれば田六九町九反余、畑二二町余、用水は
市場村
いちばむら
市場村より川上谷川の下流に位置する
慶長検地郷村帳に高二七八・一七石「市場村」とみえるが、延宝九年(一六八一)には二五三石余と減少した(天和元年宮津領村高帳)。
現竹野郡
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
応長元年(一三一一)五月二一日付の入寺定劔御影堂陀羅尼田寄進状(続宝簡集)に「在荒河庄字市本矣」とあり、この高野山領
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
- 大阪府:高石市
- 市場村
紀州街道と熊野街道の中間に位置し、
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
- 兵庫県:加西市
- 市場村
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
- 徳島県:鳴門市
- 市場村
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
慶長七年(一六〇二)幕府領、元和五年(一六一九)より園部藩領となる。元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳によると、村高四七・九二七石、旧高旧領取調帳では九八・五六一石。生業は農業を主とし、養蚕・製茶・川漁なども営んだ。
村域内に
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
- 群馬県:太田市
- 市場村
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
- 鳥取県:倉吉市
- 市場村
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
- 大阪府:泉南市
- 市場村
市場村
いちばむら
- 奈良県:大和高田市
- 市場村
市場村
いちばむら
- 愛媛県:伊予市
- 市場村
現伊予市の平地部から南部山地にかかる地点に位置し、
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の伊予郡の項に「市場村 日損所」、高四二九石四斗三升五合と記す。元文五年(一七四〇)の「大洲秘録」に村の産物は「米上・綿」とある。村内字かわらがはなには全長約七メートルに及ぶ古代の登窯の跡が発見されている。
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
- 愛知県:岡崎市
- 市場村
東海道が東から三河高原を横断する
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
- 千葉県:木更津市
- 市場村
下郡村の南、
市場村
いちばむら
市場村
いちばむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報