日本歴史地名大系 「丸平新田村」の解説 丸平新田村まるひらしんでんむら 愛知県:岡崎市丸平新田村[現在地名]岡崎市大平(おおひら)町大平村を親村とする枝村。東は西丸山(にしまるやま)村、西は西大平(にしおおひら)村、北は東大平村と耕地で接し、南は男(おと)川で対岸の岡(おか)村と境する。寛永郷帳には記載はない。分村時期は不明であるが、元禄九年(一六九六)柴田勝門知行所編入以前のことと思われる。本宿(もとじゆく)村に陣屋を置く柴田氏の支配で明治に至る。当村は本田畑はなく二八石余は新田畑高として知行所高書上に記載があり、延享二年(一七四五)免状(冨田家文書)では田高一一石余・畑高一六石余。慶応二年(一八六六)の三州額田郡丸平新田高付帳(同文書)に丸山村兼帯庄屋とあり、村高二八石余のうち、丸山村入作高二二石余で、当村は三人が六石のみの持高である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by