日本歴史地名大系 「丹南藩陣屋跡」の解説 丹南藩陣屋跡たんなんはんじんやあと 大阪府:松原市丹南村丹南藩陣屋跡[現在地名]松原市丹南三丁目元和九年(一六二三)高木正次が丹南村に置いた陣屋で、来迎(らいごう)寺の東に隣接したやや小高い地にあった。高木正次は幕府の大番頭で、武蔵・相模・上総・下総・近江の各国内で合せて九千石を知行したが、元和九年大坂定番に任じられ、一千石を加増されて河内丹南郡内に所領を移された。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では丹南、野(の)・(西)丹下(たんげ)・伊賀(いが)・樫山(かしやま)・河原城(かわはらじよう)・西川(にしがわ)(現羽曳野市)、藤井寺(ふじいでら)・岡(おか)(現藤井寺市)、小平尾(こびらお)・平尾(ひらお)・北余部(きたあまべ)・南余部・太井(たい)・阿弥(あみ)・黒山(くろやま)・菅生(すごう)(現南河内郡美原町)、高松(たかまつ)・原寺(はらでら)・北野田(きたのだ)・丈六(じようろく)・北(きた)(現堺市)の二二村に九千八九〇石余の高木領があり、このうちの一五村に八七石余の山年貢がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by