丹沢善利(読み)タンザワ ヨシトシ

20世紀日本人名事典 「丹沢善利」の解説

丹沢 善利(2代目)
タンザワ ヨシトシ

大正・昭和期の実業家 生盛薬館社長



生年
明治24(1891)年2月3日

没年
昭和44(1969)年5月17日

出生地
山梨県

旧姓(旧名)
丹沢 豊美

学歴〔年〕
中央大学〔明治41年〕中退

経歴
19歳で家業の売薬業・生盛薬館を引継ぐ。明治45年日蘭貿易を設立。大正6年鉄の暴騰に着目し、ジャワから鉄屑と鉄鋼船を買い入れ巨富を得た。実業界の第一線で活躍し、昭和2年の金融恐慌時には若尾同族会社の専務として渡辺銀行の危機に奔走。13年昭和製鉄鉱業を創立、社長。戦後は、28年朝日土地興業を起こし、東京湾の埋め立て造成事業を推進、30年船橋ヘルスセンターを開設。その後、武州鉄道事件、虎ノ門公園事件などが続き、40年朝日土地興業社長を辞任した。「千葉日報」社長も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹沢善利」の解説

丹沢善利 たんざわ-よしとし

1891-1969 大正-昭和時代の実業家。
明治24年2月3日生まれ。19歳で売薬業をつぐ。大正3年日蘭貿易を設立し,南洋貿易で成功する。昭和11年後楽園スタヂアムの創立に参加。28年朝日土地興業(のち三井不動産に吸収合併)を設立し,社長。東京湾岸の埋め立てをすすめ,30年船橋ヘルスセンターを開設した。昭和44年5月17日死去。78歳。山梨県出身。中央大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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