丹波国分寺跡(読み)たんばこくぶんじあと

国指定史跡ガイド 「丹波国分寺跡」の解説

たんばこくぶんじあと【丹波国分寺跡】


京都府亀岡市千歳町国分にある寺院跡。指定名称は「丹波国分寺跡 附八幡神社跡(つけたりはちまんじんじゃあと)」。亀岡盆地の大堰(おおい)川東方の扇状台地に位置する。現在の浄土宗国分寺境内には、塔跡の礎石や基壇が残り古瓦が出土するなど、往時の様子が想定できることなどから、1928年(昭和3)に国の史跡に指定され、2006年(平成18)に追加指定を受けた。正確な創建年代は不明だが、出土瓦から奈良時代末期と考えられている。現存する本堂は江戸時代の宝暦年間(1751~64年)の再建と伝えられ、1982年(昭和57)から5ヵ年計画で発掘調査が行われた結果、寺域は約250m四方で、西に金堂、東に塔、ほかに講堂、中門、中門回廊、僧坊が存在したことが確認された。金堂は創建時の瓦積み基壇と平安時代末期の乱石積み基壇が検出され、東西約15.8m、南北約11.6mの規模をもつと推定される。塔は心礎を含めて17個の礎石が残り、基壇は瓦積みと想定されるが、二重構造になっており、平安時代末期に修理もしくは再建されたことを示す。出土遺物は大半が瓦類で、奈良時代末期、平安時代前期、同末期の3時期に大別できる。寺の東北の飛び地には国分寺の鎮守社と考えられる八幡神社跡がある。JR山陰本線亀岡駅から亀岡市ふるさとバス「国分」下車徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報