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丹波親康 たんばの ちかやす

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

丹波親康 たんばの-ちかやす

?-? 室町-戦国時代の医師。
丹波兼康から5代の子孫。口歯科の専門医で,その治療法は親康流として代々つたえられた。施薬院使,典薬頭(てんやくのかみ)などをつとめ,永正(えいしょう)17年(1520)退官。享禄(きょうろく)4年「口中秘伝」をあらわした。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

丹波親康
たんばのちかやす

生没年不詳。室町時代の医家。平安中期の医家丹波康頼(やすより)の長男定康より4代目が親康である。定康は口科を修めて朝廷に仕え、左京大夫(たゆう)となり典薬頭(てんやくのかみ)となった。その子有康(ありやす)も施薬院使(せやくいんし)となり左京大夫に任じられた。有康の子治康(はるやす)は正四位下に叙せられ施薬院使となったが、その子が親康である。従三位(じゅさんみ)に叙せられ宮内卿(くないきょう)に任じられて典薬頭となったが、1520年(永正17)に官を辞して民間に下り、口科の医業を営んだ。1531年(享禄4)に口科の専門書を著した。これがいわゆる「親康口中科」の秘条である。親康の長子が宗康で宮内少輔に任じられ典薬頭に進んだ。次子が光康で口科を修めて、親康を称したと伝えられる。[本間邦則]

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