日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹波親康」の意味・わかりやすい解説
丹波親康
たんばのちかやす
生没年不詳。室町時代の医家。平安中期の医家丹波康頼(やすより)の長男定康より4代目が親康である。定康は口科を修めて朝廷に仕え、左京大夫(たゆう)となり典薬頭(てんやくのかみ)となった。その子有康(ありやす)も施薬院使(せやくいんし)となり左京大夫に任じられた。有康の子治康(はるやす)は正四位下に叙せられ施薬院使となったが、その子が親康である。従三位(じゅさんみ)に叙せられ宮内卿(くないきょう)に任じられて典薬頭となったが、1520年(永正17)に官を辞して民間に下り、口科の医業を営んだ。1531年(享禄4)に口科の専門書を著した。これがいわゆる「親康口中科」の秘条である。親康の長子が宗康で宮内少輔に任じられ典薬頭に進んだ。次子が光康で口科を修めて、親康を称したと伝えられる。
[本間邦則]