久保城跡(読み)くぼじようあと

日本歴史地名大系 「久保城跡」の解説

久保城跡
くぼじようあと

[現在地名]物部村久保高井

上韮生かみにろう川上流の地は狭い谷が続くが、久保高井くぼたかいの集落付近は耕地が開け、人家が点在する。その約五〇メートル北方の八幡宮の社地にあった城で、窪城・熊山くまやま城・窪熊山くぼくまやま城ともいった。城主について「南路志」は「古城記云、窪肥前守忠重居之」「窪氏系図云、初代窪但馬守貞吉阿州窪庄ヲ弟左京之進祐盛ニ譲リ土州韮生山窪庄領、後入道慶覚ト号云」と記すが、代々久保(窪)氏が居城した。

久保氏については伝承に覆われているが、久保氏系図(土佐国群書類従)によれば平氏の門脇宰相教盛の子国盛から四代を経て但馬守貞吉のとき、「土佐国韮生山窪庄」に入部したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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